デビュー直前に亡くなった母親

 演出家はさまざまな人の人生に向き合う仕事でもある。宮本はその過程で死生観を学んだが、特にダンサーデビューの直前に亡くなった母親の影響は大きいという。

「デビュー初日、僕はおふくろが亡くなった悲しみでいっぱいでしたが、舞台の上ではお客さんに最大限の笑顔を振りまいて歌って踊っていた。時間がたてばたつほど、最高のタイミングにおふくろは亡くなったと思います。こんな甘えん坊で自立できない気の弱い男に、ここでいかなきゃどうするんだって背中を押してくれたようでした。尊敬していたおふくろにバトンタッチしてもらったからには、生半可に生きている場合じゃないぞと思えたんです」

 昨年6月には、“子どものときは憎かった”と語っていた父親を見送った。

「親父はとにかく女性と金にだらしなくて嫌いだったんですが、おふくろが亡くなった後、偉そうだった親父が急に小さく見えてきちゃって。自分に全然自信がないから威張っていただけなんだと、気づいたんです。それに、迷惑かけられてばかりでも、やっぱりおふくろが愛した男だったんですね。僕が面倒見てあげなきゃなと思って、晩年は一緒に旅行して、お互いに愛しているよと声をかけ合う恋人みたいな関係でした(笑)

 両親だけでなく、親しかった人物との別れの影響も大きい。そのひとりが神田沙也加さん。宮本は、神田さんのミュージカルデビュー作の演出を手がけ、プライベートでも親交があったという。

「悔しかったというか、神田さんは何事にも入り込んだら突き進むタイプだったのでショックでした。オーディションで出会ったときも、自分が松田聖子さんの娘だということを隠して来た。合格してからも何度も、聖子さんの娘だから選ばれたわけじゃないってことを僕に確認してきましたね。

 やっぱりそれほどお母さんのことを尊敬していたし、そのぶん超えられないんじゃないかという不安があったのではないかと。素晴らしい才能を持っていた人だけに、もっともっと多くの人に感動を与えてほしかったです