途中棄権の試練乗り越え
試練もあった。
「恥ずかしながら、私は途中棄権を2度経験しているんです。中村祐二とエノック・オムワンバ。特に中村のときは指導者として痛恨の極みです」
それは'96年大会の4区だった。中村さんは2キロくらいから左足を引きずるようになり、何度も立ち止まってしまう。当時は選手に触れたら即失格というルールだった。ケガの状態を判断するには身体を触ってみないとわからないが、それはできない。
「もっと早く止めるべきだったと思いますが、責任感が強い中村の性格を考えると簡単にはできなかった。もしすぐに止めたら彼は荷物をまとめて田舎に帰っていたでしょう」
上田さんは並走しながら声をかけ続けた。「もう大丈夫だから、みんなわかっているから」と。それでも中村さんは歩き続け、壮絶なレースが終わったのは12キロ過ぎだった。
「このとき自分自身に腹を立てていました。選手につらい思いをさせ苦しみを背負わせて、どんな言葉をチームにかけていいのかわからなかった」
このアクシデントをきっかけに、監督など第三者の同意があればレースを中止できるようにルールが改正された。'14年にオムワンバさんが疲労骨折を起こしたときはすぐに止めることができたのだ。
「そしてチームにも『過去を変えることはできないけれども、その受け止め方次第で自分の未来を大きく変えることはできる。1年後の未来を共に変えよう』と伝えて、前を向くことができたのです」
翌年は、後に世界陸上マラソン代表となる主将・井上大仁さんの力走などにより、総合9位でシード権を獲得する。