来るもの拒まず、去る者追わず
1972年9月、牛込公会堂の「大駱駝艦・天賦典式」旗揚げ公演では、置き場に困っていた大量の米をトタンの背景に雨のように降らせた。
「それが斬新な演出だと『美術手帖』に特集されて、弾みがついた。売れ残りの米も役に立った。高校生のときに土方さんを知った、あの『美術手帖』に載ってうれしかったな」
全身白塗りで全裸に近い状態で踊る肉体、そしてその斬新な演出が話題を呼び、公演は大成功。全国に広がっていく。
劇場だけでなく、その構想はとどまるところを知らず、屋外へも飛び出した。アメリカやフランスのフェスティバルへの参加をはじめ、海外公演も増えていった。
大駱駝艦の制作やマネジメント、広報などを長年担当し、30年以上をパートナーとして公私共に支え続ける新船洋子さん(65)は、そんな麿さんと仲間たちの様子を客観的に見つめてきた。
「大駱駝艦は、来るもの拒まず去る者追わず。舞踏の戦士が帰ってくる母艦のようなイメージですね」
時には飲みに来て住み着いてしまう人、踊らず絵を描く人もいた。経営を考えれば稽古場を維持することが難しい時期もあったが、新船さんはそこも大駱駝艦らしいという。
「今は20代から50代まで幅広い年齢層の舞踏手たちがいますが、それぞれ誰もがここにいていいと思える空気がある。麿にとっては、大駱駝艦のメンバーは仲間でもあり、干渉し合わない、良い距離感の家族なのかもしれません。いろいろな人が来て、ワイワイ踊りを創ってまた旅立っていく。それが50年続いたのは、やはり麿の懐の深さによるところが大きいと思います」