「ゾンビ」と呼ばれ、心まで傷つけられた日々
こむぎさんが、ここまで赤裸々に質問に答えてくれるのは、やはり、「この病気を知ってほしい」という思いが強いためだろう。
そんな彼女は、この病気ゆえに、子どものときから、しょっちゅう見た目をからかわれたり、差別を受けたりしてきた。
「いちばん酷かったのは、小学生のころ。毎日、同級生の男子から『きもい』『くさい』『ゾンビ』と言われつづけました。子どもは残酷です(笑)。さらに『勝手に人の家の冷蔵庫を開ける』といった噂も流されて。中学生になると頻度は減りましたが、あだ名は『バイオハザード』。でも、だんだん慣れてきて気にしなくなりました」
さらに、教師からの理解も得られなかった。
「小学校2年生くらいのころに、体育の授業で鉄棒があったんです。そんなことしたら手の皮は剥けるし、大怪我になるのでできない、と先生に伝えたんですが聞き入れてもらえず、強制的に参加させられました。この病気のことをよく知らなかったんでしょうね。案の定、両手の皮がベローンって剥けちゃって。いまなら大問題でしょうけど、当時は先生が不機嫌そうにしていただけでした。でも、ここまでやってみせないと理解してもらえないのか、と悲しくなりました」
中学生になってからも理解されなかった。
「中学校での跳び箱も嫌な思い出です。無理なんです、と言っても、やっぱりわかってもらえなかった。やりたくないから言ってるんだろ、みたいな反応で。あと、持久走もきつかった〜。走ること自体はできたんですけど、長く走ると呼吸が激しくなるので食道にできている水ぶくれが擦れて、ものすごく痛むんです。でも、食道が荒れているから走れません、なんて言っても、まわりは『は?』ですよね。高校になってからは、割と理解があって無理は言われなくなりました。というのも、手足に今のような症状が出始めてきたので、それを見て、察してくれたんだと思うんですけど」
そして、大人になってからは、陰湿な嫌がらせにもあった。
「手足の傷を隠すために着るものを工夫していたことがきっかけでファッションに興味を持って、短大卒業後は、ずっとアパレル系で働いていました。でも、やっぱり職場でもなかなか理解を得るのは難しかったんですよね。一緒に働くとなると、どうしても迷惑をかけることになるので、上司や同僚には自分の病気のことはちゃんと知っておいてもらいたいと言葉を尽くしたんですが……。いくら説明しても、いまひとつわかってもらえなかった。それどころか、いじめみたいなことまで」
ある日の営業中の出来事だ。
「お店に小さなお子さん連れのお客さんが来て、その子が、赤いクレヨンで商品に落書きをしてしまったんです。すると、上司が『これ、こむぎさんの血じゃない?』って。そんなの、クレヨンと血の区別なんて簡単につくはずなんですけど、どうしても私を貶めたかったのかな……。こんなことが続いて、そのお店は1年半で辞めてしまいました」
どうやら、こういった経験が、現在のこむぎさんの活動の原動力となっているようだ。
「結局、知らないからだと思うんです。この病気の人たちが、どんな生活を送っているのか、どんなことを考えているのか。だから、それを知ってもらうところからなのかなって思っています」