目次
Page 1
ー 女優という仕事に前向きに

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。女優の面白さに目覚めた経緯を振り返る。

◆ ◆ ◆

 もともと、私は女優になるつもりなどなかった。当時は、原節子さんや高峰秀子さんといった美しい方々が女優でいらっしゃったから、自分が女優になろうなんてとんでもないことだと思っていたのね。

女優という仕事に前向きに

 そんな気持ちを変えさせてくれた作品が1967年に放映された『悲しみよこんにちは』(TBS系)というドラマだった。原作はフランソワーズ・サガンで、もともとは1958年に米英の合作映画として公開された作品。その後、ここ日本でも舞台を那須高原に置き換え、梓英子さん主演のテレビドラマとして放送された。私は、若原雅夫さん演じる主人公の父親の愛人という役柄で出演させていただいた。米英の映画ではミレーヌ・ドモンジョが演じた。

「文学的な芝居をする若い女優がいる」。そう朝日新聞に褒められたことを覚えている。お芝居をすることが恥ずかしく、でもそんなこと言ったら生意気だと思われるだろうと葛藤していた私は、その文面がとてもうれしかった。「女優って褒められると、こんなにうれしいんだ!」。この作品を機に、女優という仕事に、前向きになれたと思う。

 余談だけど、上野駅から那須へ出発する際に、私は階段で転落してしまい足を折っちゃった。本来は、劇中でスキーをするはずだったのに、スキーを眺めるという脚本に急きょ変更。ご迷惑をおかけしてしまったなぁ(苦笑)。

 前向きになれた──とは言ったものの、それでも根性は座りきらないところがあった。『悲しみよこんにちは』以降は、特に褒められることもなく、役柄も清純だったり良家の子女だったり、どこか似たようなキャラクターが多かった。それに、その当時は目をかけてくれる演出家の方もいなかった。

 例えば、(小林)千登勢は、芸術祭などにも登場していたけれども、それも違うと感じていた。それに、活字に関わる職業への憧れもあったから、どこかモヤモヤしていた。