劇団を旗揚げ!夢を叶えたが経営は赤字
帰国後、三ツ矢さんは積極的に舞台の仕事に取り組む。
「友人の戸田恵子とジョイントコンサートをすることになって、その中で短いミュージカルをやろうと。『ジミーとジョアン』というオリジナル作品を書きました。これが僕の初めての脚本です」
そして30歳のとき、声優仲間の田中真弓さんと念願の劇団を旗揚げ。自ら脚本を書き、演出も行った。
「ミュージカルをメインに年間4本ぐらい公演していたのですが、ミュージカルは普通の芝居よりお金がかかるんです。音楽の製作費とかミュージシャンへのギャラとか。資金繰りが大変になって経営が赤字に。5年で解散しました」
しかし、この経験が人生においては大きな黒字をもたらす。アニメ『聖闘士聖矢』がミュージカルとして舞台化されることになり、脚本家に抜擢(ばってき)される。
「声優だからアニメのことをわかっている、ミュージカルも作っている。アニメとミュージカル、両方の世界を知っているから書いてほしいと依頼されたのです。これがきっかけで、後の『テニスの王子様』も手がけることに」
また、1996年に、宝塚出身の涼風真世さんが、テレビアニメ『るろうに剣心』の主人公の声を演じることになり、三ツ矢さんは音響監督(アフレコ演出)を任される。
「音声収録のときに声優さんに演出をし、監督が求める声の演技を引き出すという仕事です。宝塚の舞台をよく見て知っているし、演技指導もできるからということで僕にお声がかかって。この作品は評判がよく、以後、音響監督の仕事も増えました」
また、声優の養成所を任されたり、演劇雑誌の編集長を務めていた時期もあったというから、その多才ぶりに驚く。
「振り返ると、何かの仕事をすると、それに関連して別の仕事がきて、そこからまた別の仕事がきて、という具合に展開していった気がします」
浮き沈みの激しい世界で、一度も沈むことなくスイスイ泳いできた。「いろんな人が導いてくれて、自然な流れに乗ってきただけ」と三ツ矢さんは言うが、それは本人の努力と能力があってこそ。
「僕はどんな仕事も、引き受けたからには120%以上の力でやっています。100%は当たり前。プラス20%があると、僕を起用してくれた側にお得と思ってもらえる(笑)。おのずと次につながっていきます」