寒さが一段と厳しさを増すなか、恋しくなるのはやはり温泉だ。
青森県・酸ヶ湯温泉の大浴場、ヒバ千人風呂など全国に存在する名湯のなかには、昔ながらの混浴文化を残しているところも少なくない。
環境省の進める『10年後の混浴プロジェクト』
ところが、近年は利用者のマナーの悪化などもあり、混浴施設の利用者は減少の一途をたどっているという。
そんななか、環境省は失われつつある混浴文化を将来にわたって守っていくことを目指し、『10年後の混浴プロジェクト』を推進。
今月4、5日には、岩手県・八幡平市の松川温泉峡雲荘で、「混浴宣言の日」と題したマナーアップキャンペーンを行うなど、さまざまな実験的取り組みで、混浴文化の課題と今後の継承に向けたあり方を検討している。
しかし、混浴文化の意義や必要性を疑う声はいまだに根強い。同プロジェクトのアンケート調査によると、男性は年齢層が上がるとともに混浴への抵抗感が薄れる一方、女性は全世代において6.5割以上が混浴への抵抗を感じていることも明らかになった。
混浴施設に立ちのぼる湯けむりは、このまま消えゆく運命にあるのだろうか……。跡見学園女子大学兼任講師の山崎まゆみさんは次にように語る。
「国内外を問わずさまざまな温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を伝えているなかで、私自身は日本の混浴文化の素晴らしさを身に染みて感じています。
一方、社会通念の変化やいろいろな問題点が取り沙汰されるなかで、昔のようにシンプルに“混浴って素晴らしい文化だよ”と伝えることが難しくなってきている時代だなとも思っています。
ただし、宿泊施設・温泉施設の取り組みや利用者の声を聞くなかで、気持ちの問題だけではなく、混浴文化が必要とされる理由も改めて見えてきました。そういった点を含めて、混浴文化の今後について考えることはとても意義深いことだなと思っています」
現在ではマイノリティーである混浴施設だが、かつて混浴は当たり前の風景だった。まずは、混浴文化の歴史についてひもといていこう。
「そもそも、日本の温泉の原風景は混浴でした。記録として残っているものは多数ありますが、特に1300年ほど前の『出雲国風土記』には、出雲の玉造温泉について、老若男女が一緒になって温泉を楽しんでいる様子が描かれています。
身分の違いで入浴時間を分けることはあったようですが、男女で分ける必要性はあまりなかったのでしょうね。こういった混浴文化は、温泉だけでなく江戸時代の大衆浴場にまで引き継がれていきます」(山崎さん、以下同)
混浴の大きなターニングポイントが訪れるのは江戸時代になってから。時の老中・松平定信が、寛政の改革の一環として、風俗の乱れを正すべく、寛政3(1791)年に「混浴禁止令」を打ち出す。
さらに決定打となったのは、江戸末期の黒船来航だ。西洋人にとって日本の混浴文化はカルチャーショックであり、野蛮なものとして批判的に紹介されることも多かった。
「日本が近代国家の仲間入りを目指した明治時代には、まず国民の生活習慣を変えようとする流れも強固になってきました。
1900年の“12歳以上の男女の混浴を禁止する”という内務省令を皮切りに、東京だけでなく全国の浴場から混浴が消え、男女別の湯船が広まっていくことになりました。
この流れは現在も続き、各都道府県の条例などでは、一般公衆浴場での混浴は原則的に禁止となっています」