姑と同居し介護も。母の言葉を肝に銘じて
仕事に邁進してきた近藤さんだが、家庭ではお姑さんの介護をしていた時期もあった。「私は仕事が忙しくて家にあまりいなかったから、ケアマネジャーさんやヘルパーさん、弟夫婦に助けてもらって。私はそんなに……」
と近藤さんは言うが、親友の服部さんは、
「のりちゃんは、お義母さんのお世話もちゃんとやっていましたよ」と明かす。
「食事は基本的にのりちゃんが用意していたし、自分が仕事で家をあけるときは、お義母さんの分を作り置きして。偉いなって私は思ってました。
そのうえ、いつお邪魔しても家の中がきれいで、お花も飾ってあるの。あんなに多忙なのに、いつ掃除するの?って不思議でした。ある日、のりちゃんがトイレに入ってなかなか出てこなかったんです。実は、ついでにトイレ掃除してたんだって(笑)。何をやっても手早く、ムダがない。料理も上手だしね。主婦としても達人です」
義母は12年前に他界。
「ご主人が言ってましたね、のりちゃんがお義母さんのこと、本当によくみてくれた、って」(服部さん)
近藤さんが介護を頑張れたのは、実母の教えがあったからだと、本人は話す。
「私の結婚後、母が言ったんです。“ええか、あんたのお母さんは私やない。あんたはお嫁にやった子やから、旦那さんのお母さんがあんたのお母さん。親孝行しいや”って」
一人暮らしをしていた義母と同居を始めたのは、結婚後10年ほどたってからだった。
「やはり大変ですよ、お姑さんと暮らすということは。それで私がつい実家の母にグチをこぼすと、母がすかさず言うんです。“あかん! お義母さんの悪口いうのは、天に唾吐くのと一緒や。お母ちゃんに恥かかせんといてや”と」
古い価値観と言えばそれまでだが、気骨ある昭和の母の教えが、達人“近藤典子”をつくったことは間違いない。その母も7年前に他界。
「目に浮かぶのは、母の働いている姿。店を切り盛りして、私ら子どもの世話をして……。休んだり、寝ているところを見たことがない。いつも笑っていて、怒ったことがない。母こそスーパーウーマン。かないません」