「連続OBで出遅れるなど1打差で最終18番ホールを迎えた石川遼選手は3メートルのバーディパットを決め、土壇場でプレーオフ勝負に持ち込んだ。プレーオフでは地力を発揮し、5メートルのバーディーパットを沈めて逆転優勝。当時、“ハニカミ王子”と呼ばれていた石川選手のドラマティックな勝利にギャラリーは大盛り上がり。報道陣からは翌日が誕生日の石川選手にバースデーケーキが差し入れられ、笑顔でロウソクの火を吹き消すなど“遼くんフィーバー”の一日となった」(スポーツ紙記者)
マスターズ覇者に逆転勝利した過去
石川選手にばかり注目が集まる中、名前を上げるチャンスを逃した保田容疑者は翌08年8月、五輪会場の霞ケ関カンツリークラブで開催された日本ジュニア選手権(7032ヤード、パー72)の男子15~17歳の部に出場。石川選手はすでにプロに転向していたものの、やはり同学年のライバルでのちにマスターズ覇者となる松山英樹選手(高知=明徳義塾高)を最終日に逆転し、1打差で上回る2位でフィニッシュした。ハイレベルな世代だったといえるだろう。
ところが、保田容疑者は失速。
「プロテストに何度も落ちて足踏みし、ようやくプロになれた」(地元の関係者)
やがてレッスンプロとして生計を立てるようになったという。
遅れを挽回できない保田容疑者は、SNSで、
《プロゴルファーです。夢に向かって励んでます。レッスンなどもしております。うまくなりたい方、スイングで悩みがある方など初心者から上級者まで行っております》
と自己紹介して練習生を募集。
その一方で、
《友達がこれで30万稼いで仕事やめてたんやけどなにこれ?仕事やめたい人やってみて!笑》
などと怪しげなビジネスに誘い込むような投稿を繰り返した。
車が趣味だったといい、
「真っ白なベンツに乗っていたこともある。毎日のように洗車してピカピカに磨き上げるなど、徹底した綺麗好きで車好き。細い道で結構スピードを出すので注意しようと思っていたんです」(近所の別の男性)
ゴルフに集中しているとは言い難い生活だった。
知人男性は4〜5年前、保田容疑者に「週1回ぐらいゴルフを教えてよ」と頼んだときのやり取りを打ち明ける。
「“はいっ!”と快く引き受けてくれた。私が腰痛を発症して実現できなくなってしまったが……。和貴くんが子どもの頃、彼の父親と3人でコースを回ったこともある。父親もゴルフが好きなんだけど、プロゴルファーにありがちな“スパルタ父子鷹”とは違う。和貴くんのゴルフにかける熱量がすごかった」
幼少期からゴルフを始めるぐらいだから裕福なのだろうと思いきや、周辺によると、ごく普通のサラリーマン家庭に育ったという。
知人女性はこう話す。
「元気よく挨拶してくれるし礼儀正しい。いつもニコニコしていて悪いところなんて一切なかった。容疑が事実ならば泣きたいくらい。でも、根が良い子だからきっと更生してくれると信じています」
評判のいい男がなぜ道を踏み外したのか。