がん患者をサポートするNPO法人「スマイルステーション」の代表理事を務める善本考香(としか)さん(52)。その立ち上げの背景には、度重なる再発を乗り越えた自身の壮絶な闘病体験がある。
40歳、お風呂場で大量の不正出血
善本さんが異変に気づいたのは、2011年の夏。当時は40歳で、シングルマザーとして一人娘の優花さんと2人で暮らしながら、病気とは無縁の日々を過ごしていた。
「お風呂場で髪を洗っていると、膣から大量の鮮血がドロッと流れ出たんです。それまでも、おりものの臭いや性交渉時の不正出血など、気になる症状は多少ありましたが、このときは様子が違った。もしかしたら、がんかもしれないと強い恐怖に襲われました。
今思うと、気になる症状は3年近く前からあったので、身体は何度もSOSを発していたんです」(善本さん、以下同)
すぐに病院で検査を受けると「命の危険がある。子宮体がんか、子宮頸(けい)がんかもしれない」とあやふやな“がん宣告”を受ける。
「すごく重い病状かもしれないと頭が真っ白になり、診察室から出て、母と娘の顔を見た途端に泣き崩れました。でも娘をひとり残して死ぬわけにはいかないと思ったんです」
それから信頼できる医師を探そうと友人に相談し、新しい病院を受診。再検査を受けると子宮頸がんが見つかり、子宮と卵巣、膣周辺の摘出手術を受けることに。
「ようやくがんの状態が正確にわかって手術で取り除けることになり、ホッとしました。なので、女性特有の子宮や卵巣を失うことに抵抗は感じませんでした。でも、手術の前日に、急に生理がきたときは驚いて……。
まるで子宮が自分の運命を悟り、最後の生理を起こしたかのように感じたんです──。声を上げて泣きました」
その後に行った手術でリンパ節への転移も発覚。子宮と卵巣に加え、骨盤内のリンパ節も切除した。
「術後は卵巣欠落症の症状で、急なほてりが数日おきに起こりましたが、排尿障害などの後遺症とは幸い無縁でした。でもその後の抗がん剤は、吐き気や倦怠感、脱毛など、つらい副作用が続いて本当に苦しかったです……」
必死の思いで抗がん剤の最後のクールを終えた2012年の春、善本さんの願いもむなしく、お腹のリンパ節に再発が見つかってしまう。
「あれだけのつらい思いをして抗がん剤を終えたばかりなのに、なんで?という失望と不安、恐怖でいっぱいでした。気持ちの整理がつかないまま、すぐに2回目の抗がん剤治療がスタート、そして今度は放射線治療も行うことに。
がんになってからなぜかにおいに敏感になっていたので、放射線室特有のにおいが嫌で嫌で仕方なかったのをよく覚えています」