目次
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ー ローカル局アナは、ディレクターも編集もできて一人前
Page 2
ー 「東京オリンピック2020」を区切りに、局以外のキャリアを意識
Page 3
ー 「企業広報×フリーアナウンサー」というパラレルキャリア ー キー局アナの転職で感じるキャリアの危機感

 近年、テレビ局アナウンサーの退職が週刊誌やスポーツ紙などの紙面で報じられる機会が増えている。

 なかでも目立つのが30代、経験を重ね、脂が乗ってきた頃の突然の退社のニュース。アナウンサーとして知名度も実力も兼ね備えながら、フリーランスとして独立するだけでなく、異業種への転職や起業など様々なパターンが見られるが、花形職種であるはずのアナウンサーのキャリアに今、何が起こっているのか。

 そこで、アナウンサーの転職記事でもまだあまり見かけない、ローカル局アナウンサーのキャリアデザインについて、元愛媛朝日テレビの戸谷勇斗氏(35)に話を伺った。

ローカル局アナは、ディレクターも編集もできて一人前

 東京都大田区出身、学生時代は神奈川県で過ごした戸谷氏。元々ゆかりのない愛媛でアナウンサーになったのはなぜなのだろうか。

「私は小学生時代から朗読など声で表現することが好きでした。中学・高校時代は陸上競技に打ち込んでいました。中学生の時に全国大会に臨む直前の私の姿がテレビの報道番組に取り上げられたことがあり、すごく誇らしかったのです。普通の中学生だった私がヒーローになったような感覚で、それが放送業界に興味を持つきっかけになったと思います。

 大学ではマスコミ志望者が集うゼミに入りました。アナウンサーの就職活動はキー局からスタートするのですが、順番に全国各局を受けた結果、たまたまご縁があったのが愛媛朝日テレビでした」

 激戦を勝ち抜き、アナウンサーになる夢を愛媛でかなえた戸谷氏。実際のアナウンサー生活はどのようなものだったのだろうか。

「ローカル局の場合、アナウンサーとして話す仕事だけでなく、記者やディレクターの三足のわらじを履いている感じです。局によって異なりますが、愛媛朝日テレビは原稿を書き、映像編集やナレーション収録も自分でやっていましたね。

 入社1年目にジュニアアスリートを取り上げるスポーツコーナーを担当したのですが、4分くらいのVTRを週に1本作らないといけなくて……。そのために1日取材して、2日かけて編集して、オンエアしたらその当日からまた次の取材のためのアポを取り始める、という感じでした。

 それが毎週続くのでなかなか大変でしたね。でも結果的には色々なスキルが身について、数年後には何でもひとりでできる状態になっていたので良い経験をさせていただいたと思っています」

 キー局の場合は基本的に分業されており、外部の番組制作会社が入ることもあるため、アナウンサーが自ら編集作業やディレクションをする機会は少ないだろう。日常的に業務を兼任しながら番組作りをしているのは、限られた予算、人員で運営しているローカル局ならではの事情なのだろうか。

 ただ、戸谷氏がセカンドキャリアを考え始めたきっかけはまた別のところにあるようだ。