撮影期間である2か月ほどの間、孤高を貫いていた。
「ところがそのプロデューサーが、僕のたたずまいを買ってくれて、次の作品につながって。それが『不良少女とよばれて』で、僕はオールバックの不良になるわけですよ。それまで不良でもなんでもなかったのに(笑)」
松村さんの不良男子は「ハマり役」となり、『スクール☆ウォーズ』などの代表作へと続いていく。
「若さゆえの反発心がね、ものすごく顔に出ていたと思います。でもそれはすごくいい経験で、ああいう『なにくそ!』根性っていうか、そういうのがあったから続けられたっていうのもあるかもしれないですよね」
ドラマの役では不良少年のイメージが強い松村さん。実生活では幼いころから両親の都合で父方の祖母と2人暮らしをしており、厳しくしつけられて育った。
「食事は正座で会話もテレビもなし、祖母が手をつけるまで待つ。友達を呼ぶにも『ちゃん』ではなくて『さん』『君』をつけなくてはダメで、あだ名で呼ぶことも許されていませんでした。今思えば、『両親がそばにいないから』などと後ろ指をさされるような子どもにならないように心配してくれていたのでしょう。詩吟を教えていて、着物が似合う人でした」
そんな祖母は松村さんが18歳のときに脳梗塞で倒れ、以後要介護の状態に。大映ドラマに次々と出演する華々しい活躍の陰で、介護生活を続けていた。
「近所に住んでいた叔母家族と一緒に祖母のケアをする生活を送っていました。オールバックの不良のときも、ラグビーボールを振り回しているときもすでにその状態です。僕としては、育ててもらった人の面倒を見るというのは当たり前だと思っていたので抵抗はありませんでした。ただ、祖母といえど女性ですから、女性の身体のケアをすることには戸惑いがありました」
仕事を終えて、帰れば介護という、客観的に見ればすぐに限界がきてもおかしくない二重生活だが、仕事がいいストレスの発散になったという。
「僕はやんちゃな役が多くて、人のことを殴ったり蹴ったり、罵詈雑言を浴びせたりするのが主な仕事だったので、実生活とはまったく別の人生を歩んでいるようなものでしたから」
20年以上も続いた介護生活は、周囲のサポートの賜物だったと振り返る。
「介護で外出できないのなら『おまえの家で飲もう』と言ってくれる親友がいて、事務所の社長や叔母がいて、仕事場にはよきスタッフや共演者がいて……本当に人に恵まれてここまでこられたと思います」