相変わらず酒はやめていない。度数の高い酒を、なぜかいったん水筒に移して飲んでいた。筋肉は落ち、ズボンをはくのにも何分もかかる状態だった。運動不足で足の皮膚は壊死しかけていた。
暴力的な父が丁寧な振る舞いを
「私は小さいころ虐待されていますから、自分で介護することには抵抗がありました。介護したくないというより、介護するうちに復讐心が湧きそうで怖かったんです」
現在の弱った父親にならば、たやすく反撃できる。田口さんは、そんな気持ちが湧く前に、素早く生活保護と、要介護認定の申請を出した。父が猛暑にも耐えられるよう、エアコンも付けた。
「父は時折、私の顔がわからなくなってきました。多くの患者さんを取材していたので、思いのほかショックはなかった。“本当にわからなくなるんだ”くらいの感じです」
逆に驚いたのは、父の丁寧な振る舞いだ。
「“お世話になりました”なんて深々と頭を下げて。父は家族には暴力的でしたが、外ではこういう人だったんだなって少しほっこりしました。そういえばマスコミで働く前は銀行員だったんです。アルコール依存症になる前は、まじめな人柄だったのかな、と思うことができました」
現在は“アルコール依存症の治療を受ける”“老人ホームに入居する”など、今後の進路を考えつつ、ケアをする日々だという。
田口さんは、父親の認知症が進んだことで、知らなかった一面を知ることができた。認知症も介護も人それぞれ。絶望せずに、ゆるゆると続けていきたいものだ。
取材・文/村田らむ
田口ゆう ライター、WEBサイト『あいである広場』編集長。社会的マイノリティーや介護、福祉、障害の分野への取材を得意とする