「同い年の堀ちえみちゃんや早見優ちゃんは、忙しくてほとんど学校に来られないんです。そんな売れっ子さんたちのために、自主的にテスト範囲のノートを事務所にファクスしてあげてました(笑)。ヒマすぎて、生徒会活動にも積極的に参加してましたね」
そんなころ、かの有名な“4文字事件”を起こす。放送禁止用語を訳もわからず生放送で叫び、そこからぴたりとテレビに呼ばれなくなってしまった。
「国立にある渡辺プロダクションの寮から学校に通っていたんですが、仕事がない自分が恥ずかしくて。寮に帰るのも嫌で、国立駅のベンチに座って時間をつぶしてました」
同じ寮には、『まちぶせ』がヒット中の石川ひとみ、おニャン子クラブで大人気だった河合その子、お笑いコンビのABブラザーズでブレイクした中山秀征らがいた。
「売れたみんなが寮を出て都心に引っ越していく中、私だけ寮が取り壊しになるまで住んでたんです(笑)」
見かねた中山から「バラエティー班においでよ」と誘われたことを機に、歌とは別の才能が開花。デビューから10年目でようやく道が開けた。
「故郷に錦を飾るまでは帰れない、という思いだけが当時のモチベーションでしたね」
フリフリのかわいらしい衣装で歌う長年の夢が50代でやっと実現し、成人した息子から「お母さん、キラキラしてるね」と言われる今。お神セブンで50周年、60周年を迎えることが新たな夢だ。
(取材・文/植木淳子)