伝統は永遠の流行─。
フランスの伝統的な焼き菓子「カヌレ」は、昨今、洋菓子店やホテル、コンビニが競い合うように販売するほど人気を博している。もう少したてば、クリスマスソングが聞こえ始めるだろうか。ドイツのフルーツケーキ「シュトーレン」は日本でもクリスマスの定番になった。
洋菓子研究家・今田美奈子さん
「伝統は本物であり、永久不変に続くものなんですね」
たたずまいは、どこまでも凛としていて、その口調は温かさと優しさにあふれている。洋菓子研究家、食卓芸術家の今田美奈子さんがいなければ、ヨーロッパの伝統菓子が、日本でこれほどまでに定着することはなかったかもしれない。「カヌレ」も「シュトーレン」も「チーズケーキ」も「クグロフ」も、今田さんによって伝えられた。
1971年、36歳のときにヨーロッパの国立や州立の製菓学校へ研修旅行に出かけた。子ども2人を育てる普通の主婦だったが、現地で出合った伝統菓子に魅せられ、今田さんは甘くて優雅な新しい轍を切り開いていく。
「人ができない体験をできたのは、時代の声だったと思うんですね。私の財産は、たくさんの人の声を聞けたことです」
お菓子の作り方を教えるように、一つひとつ丁寧に説明し、自身の人生を顧みる。その言葉は、人生を豊かに彩るためのレシピそのものだ。
部屋の中で海外に憧れた病弱な少女時代を経て
各種の写真フィルムなどを扱う会社や不動産会社などを経営する社長を父に持つ、5人姉妹の長女として、今田さんは育てられた。お嬢さまではあったが、「私の人生はビリから始まったようなもの」と笑う。
6歳のとき、「夏風邪をこじらせてしまい、40度の高熱で倒れ、3日間生死をさまよいました。私は、一度あの世に行っているんです(笑)。回復したものの、自力で歩行することができず、医師からは小児リウマチとも関節炎とも告げられました」
外出することが困難になったため、部屋には少しでも運動ができるようにと、天井から吊り輪がぶら下げられたという。
「本を読んだり、吊り輪にぶら下がったり……外国に行くなんて夢のお話だと思っていました。ただ、海の向こうには広い世界があって、ノーベル賞を受賞する人や、人の役に立つすごい人がいるんだなと思いをめぐらせていました。今思えば、このとき憧れが芽生えたのかもしれません」
寛解すると、普通の女の子として学校生活を送った。大学を卒業し、22歳で結婚。子どもも授かり、主婦として穏やかな生活を送っていた。時代は、高度経済成長期。「普通」でいることが何よりも「安定」をもたらし、夫が働き、妻が家事をこなすことが当たり前だった。
36歳のとき、お菓子業界の団体のひとつが25人ほどの菓子職人を募り、ヨーロッパの製菓学校へ研修旅行に出かけるという計画を教えてもらった。その会長は、当時、話題となっていたバウムクーヘンを販売していた「ジャーマンベーカリー」の日本のオーナーで、そのご息女は今田さんと中高時代に仲のよかった学友だった。
「外国に行くという憧れを叶えたかった」
母に思いを伝えると、母は「子どもの面倒は私が見るから行ってらっしゃい」と背中を押してくれたという。「幼少期の私を見ていたからかもしれないわ、でも母の言葉には続きがあったの」そう今田さんは微笑むと、
「これから先は、日本は洋風の生活を送るようになる。日本のみなさんに、きちんと教えてあげられるようなリーダーシップを持って学びに行きなさい─と。でも、私は教えるなんてとんでもないと思っていました。私は食べるほうが好きで、作るほうはさほど関心がなかったんです。軽い気持ちで参加するつもりでしたから」
ところが、ヨーロッパでその価値観はひっくり返る。
「今思えば、明治生まれのごく普通のベテラン主婦だった母の言葉が、私の人生を変えてくれたんですね」
製菓の専門家を対象とした1か月ほどの研修旅行に、名もなき主婦が参加する。異例だったが、異なる視座があったからこそ、新しい風が吹いた。