当時、37歳で東証一部上場企業の最年少創業社長になった近藤社長率いる会社だ。
「投資したときは、まだ社員10人ぐらいの小さな会社だったんです。近藤社長本人から応援してほしいと言われ、叱咤激励の意味も込めて500万円を投じました」
運がいいと言っていると、運がよくなる
それが2002年の上場で爆上がり。持ち株は3500万円まで急騰した。さらに当時は、銀座や六本木といった場所で、気鋭の若手経営者たちと会うのが川合さんの日課になっていた。
出資者を見つけたい若手経営者たちが、川合さんのような有望投資家を見つけようと、こうした場所に大挙して繰り出していた。
「知り合った人たちの会社を調べて、自分なりに“いいんじゃないか”と思ったら資金を投じるようにしていました。僕の投資は日本株中心。“この会社、伸びるかな?と思って投資して伸びると、“やっぱりオレの目は正しかった”、そうしたうれしさで買っていたんです」
そんな川合さんには普段から守っているポリシーがあるという。
「景気っていうように、株は“気”のもの。運がいいと言っていると、運がよくなる。普段の生活の中でもネガティブなことは言わないというのは意識しています。それは金運を呼び込むためという理由もあります」
自分の運を信じて選んだ投資は大成功。20年前のITバブルの時代には2000万円で買った1銘柄が、6000万円の値をつけたことも。
「スポーツ選手って、戦ってきているから勝負事が好きですよね。自分は運がいい、勝てると思って戦っているし、そう思わなきゃ勝てません」
だがそんな“イケイケ”な状況は長く続かず、投資の恐怖を味わう瞬間がやってくる。
ITバブルを背景に、2000万円が6000万円になり、持ち株の総額は見る見る間に総額2億円を突破……。
黄金の日々を崩壊させたのが、2006年1月のいわゆる『ライブドア・ショック』。ホリエモンこと堀江貴文氏率いるライブドア社を東京地検特捜部が強制捜査。それが原因で、株式市場全体が急落した一件のことである。
「2億円あったものが1億円にまで下がりました。とにかく毎日ストップ安(値幅制限いっぱいまで株価が下がること)で、売りようがない。
1か月にわたって株の評価額が毎日400万から500万円も減っていく。目の前で現金が減るんだったら、“うわ~っ”って感じでしょうけど、画面上の数字が減っていくだけだから、夢の中にいる感じ。リアル感がないんです」