「自分の城と思っていた都内の新築マンションから古びた団地へ。思い描いていた理想の生活が一気に崩れ去り、モノクロの世界に放り込まれたような気持ちになりました」
母からの1本の電話で人生が激変
そう話すのは、築50年を越える団地でおひとりさま生活を送るきんのさん。団地暮らしは今年で5年目。
その穏やかな暮らしぶりを綴ったブログが人気の彼女だが、実は、引っ越しが決まったときの心境はまったく違っていた。
それは、都内に住むきんのさんの元にかかってきた母の電話から始まったという。
「80代になった母が、ひとり暮らしが不安で仕方なくて、自分が住んでいる団地に空室が出たから、そこに移り住んでほしいと言うのです。しかも、すでに頭金を払ったと」(きんのさん、以下同)
通勤に便利な都内の新築のマンションに住み、仕事もプライベートも充実した毎日を送っていた彼女にとって、寝耳に水の話だった。
「37歳で離婚を経験し、そこからなんとか正社員として就職。40歳を機に終の棲家として分譲マンションを購入してから、9年目のことでした。
住宅ローンの支払いもまだまだ残っていましたし、もし母の希望どおりにすれば、生活がガラリと変わってしまうのは明らか。
老後は都心で暮らし、趣味の着物を着て美術館巡りをしたいと思い描いていましたが、その夢も諦めなくてはなりません。母に振り回されず、私は私の人生を生きるべきだと思いました」
一度は、団地への移住を見送ろうと決めたきんのさん。しかし、それでスッキリした気持ちにはならなかった。
モヤモヤと心の中を渦巻いたのは、母のSOSに応えられない娘としての不甲斐なさ。自分の生活を守るか、母をサポートするか、心が押しつぶされそうになった。
「どうにもならない状況にぶつかった時、人って本当に叫びたくなるものなんですね。気づいたら部屋の片隅で言葉にならない感情を大声で吐き出していました。
でも、そうやって苦しい気持ちを全部出し切ったら、何をいちばん大切にすべきか、少しずつ冷静に考えられるようになりました。自分の生活を優先してこのまま母を見捨ててしまったら、自分のことを一生許せないんじゃないかなと」
今の生活を手放して母の元へ行くのは苦労が多いけれど、母と苦労だけじゃないものを一緒につくることもできるはず。メリットとデメリットを整理して、母親のために団地へ移り住む決断をした。
「都会のマンションで暮らす老後は手に入れられないけれど、自分が満足して生きられる老後は、どこにいても手に入れられるはず。もちろん、団地でも。ポジティブに新しい方向に歩き出すことにしたのです」