姉が乳がんにかかったのをきっかけに、自身も遺伝の確率が高いことを知った、会社経営者の野中美紀さん。「毎年検査を受け、心の準備をしていたつもりでしたが、実際に発症したショックは大きく、治療の壮絶さにも打ちのめされました」注目を集める“遺伝性のがん”。当事者の声をお届けする。
自分は高い確率で乳がんになると知った
女性にとって、非常に罹患率の高い乳がん。野中美紀さんが、乳がんに直面したのは、今から約17年前、4歳年上の姉が罹患したときだった。
「姉に乳がんが見つかったとき、とまどうばかりで、どう励ましていいかわかりませんでした。片胸が全摘となりましたが命に別条はないとわかり、胸をなでおろしたんです」
ところがそれから8年ほどたった2014年。野中さんの胸にも異変が起きた。乳房に、前兆ともいえる石炭化が見つかったのだ。
「がんと確定されず経過観察になったのですが、このころ姉の乳がんが再発し“遺伝性乳がん卵巣がん症候群”であることがわかりました。姉妹ですから、もしかしたら私も……そんな予感がしました」
現在は一定の要件を満たすと保険適用となっているがんの遺伝学的検査も、当時は、倫理的に問題視され、実施している病院も少なく、また保険扱いでもなかった。遺伝カウンセリングも受けねばならず、ハードルは高かったが、それでも検査を受けることに。
結果、自身にも特定の遺伝子変化があることが判明した。ただ、元来ロジカルな考え方を好む野中さんは、エビデンスのある情報のみを集め、病に向き合う準備を始めた。そして翌年、乳がんと確定診断される。
「遺伝性乳がん卵巣がん症候群であるとわかってからは、定期的に検査を受けていたので、早期発見ができましたし、遺伝子情報を提供してくれた姉に感謝する気持ちでした」
知らなければ、気づいたときにはもう手遅れになっていたかもしれない。
「そのときに思ったんです。がんになる可能性が高いことを早くに知ったことは決してマイナスではなかった、と。姉も私も娘がいますが、“遺伝”と悲観してばかりいるのではなく、知ることで闘えることもあるのだと」