目次
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ー 通夜と告別式には20代の普通の若者から80代のデヴィ夫人まで
Page 2
ー 南部さんが見つけた人は、ほぼブレイクする
Page 3
ー 死んでいるはずなのに“既読”がつく

 

 1月20日に脳卒中により72歳で急逝した、過激パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」のリーダー・南部虎弾さん

通夜と告別式には20代の普通の若者から80代のデヴィ夫人まで

 1月28日に行われた告別式のドレスコードが「喪服禁止」で、弔問客は思い思いのど派手な姿で集まり、出棺の際にはクラッカーが鳴らされるなど、前代未聞ながら、南部さんらしい“お見送り”となったことも話題となった。

 また、3月23日には東京・品川の「ザ・グランドホール」にて、南部さんよりひと足先に旅立ったエスパー伊東さんとの合同のお別れ会が開催される。

 役者を経てお笑い芸人となり、ついには海外でも名の知られた存在となった電撃ネットワークを作り上げた南部さん。面倒見と人付き合いのよさでも知られ、通夜と告別式には20代の普通の若者から80代のデヴィ夫人まで駆けつけるほどの交友範囲の広さだった。

 そんな南部さんの知られざるエピソードを、電撃ネットワークの古参メンバーであるダンナ小柳さん(56)と、オーディションにより入団した若手メンバーの今日元気(きょうも・げんき 35)さんに語ってもらった。

 特にダンナさんは、南部さんとは実に40年近い付き合いだったという。そばにい続けた者たちだけが知る、鬼才・南部虎弾の素顔とは。

ダンナ小柳さん(以下・ダンナ)南部ちゃんと知り合ったのは、自分が19、20歳のころでしたね。南部ちゃんが、ダチョウ倶楽部を辞めた直後くらいに、(休刊した情報誌の)『ぴあ』で『一緒にお笑いをやるメンバーを探しています』といった募集をしていたんです。

 当時自分はミュージカル俳優を目指していたんですが行き詰まっていて。面白そうだなと、同期の仲間2人と一緒に応募したんですね。連絡が来て会いに行ったら『よし君たち、明日から練習な』って、即決で。

 でもそれだけでは食べられないからアルバイトとかけ持ちなんですが、俺以外のメンバーはバイトのほうを優先し始めて、結局残ったのが俺だけに。南部ちゃんは、コントもやりやすいからと、4人組にこだわっていたんで、またメンバーを募集したんですね。それで入ってきたのが、三五十五(2015年に52歳で死去)とギュウゾウ(59)で、ここからが現在に至る『電撃ネットワーク』の始まりですね」

写真左からダンナ小柳さん、今日元気さん 撮影/渡邉智裕
写真左からダンナ小柳さん、今日元気さん 撮影/渡邉智裕

 当初は正統派なお笑い集団を目指していたという。

ダンナ「ちゃんと台本のあるコントなんかをやっていましたね。ただ当時はショーパブの仕事がメインなんですが、店にいるのはほとんど酔客で、俺たちの芸なんかちゃんと見てくれないわけですよ。ある日、ショーパブの楽屋で、俺が風邪をひいていて、ティッシュで思いきり鼻をかんだら、目から鼻水が出てきたんです。『あれ、目と鼻がつながった』と言ったら、それを聞いた南部ちゃんが『鼻から牛乳を吸ったら目から出るんじゃない?』って。

 面白そうだってコンビニへ行って牛乳を買ってきてやってみたら、見事に成功したんです。そうしたら南部ちゃんが『それ、客の前でやろう』って。どうせみんなコントなんて見てないから、単純に驚かしてやるのがいいのかも、ってことになって、やってみたらお客が食いつくようになったんです。

 南部ちゃんも気をよくして『これからはこういう驚かすネタをどんどんやっていこう』と言い出して、爆竹を使ったりとか派手なネタをやることになったんですね。
そんな俺たちを、たまたまショーパブに来ていたフジテレビの関係者が気に入って、『オールナイトフジ』に出ないか、という流れになったんです。出演したらものすごい反響があったらしく、翌週からは準レギュラーみたいな感じになっていました