1983年から始まったテレビアニメ『キャプテン翼』(テレビ東京系)の主題歌『燃えてヒーロー』は当初、沖田浩之さんが歌っていたが、1985年から竹本にバトンタッチされた。
「なんで?と思いました。もともと浩之さんが歌っているのに横から取るようなのは、どうなのって。でも、やると決めたらちゃんとやる。レコードジャケットでも短パンはいて(笑)。俺が全曲プロデュースのオリジナルアルバムを作らせてくれるという条件で引き受けました。それが実現したのは3年後でしたけどね」
影響を受けた畑違いの先輩歌手
アイドル時代から、ずっと曲作りをしていた。
「トライはしていました。地方公演に行って、ホテルに入ったらすることがない。都内にいると深夜まで仕事でしたが、地方ではコンサートの後にごはんを食べて、夜10時半ぐらいに終わり。あとは自由時間。でも未成年だから、ホテルにこもってメモ帳に譜面を書いていました」
アイドル歌手は3年だけで、その後は40年ミュージシャンとして活動している。
「音楽作品を残すのも、花を売るのも一緒で、クリエイターでありたいと思っています。音楽にも花にも魂を込めたい。それが続けてこられた理由のひとつですね」
竹本が影響を受けたという歌手は、ロックとは畑違いの人物だった。
「事務所の先輩だった都はるみさんです。デビューしたてのころに楽屋へ挨拶に行ったら“あなたの歌、聴いたけど、もうちょっと腰に力が入っているほうがいい、ピッチはお腹じゃなくて喉でもなくて、ココなのよ”って、腰を指す。ピッチを合わせるには腰の力が大切で、前だけ鍛えるんじゃなくて後ろもちゃんとするべきだって。そうすると、ワンステージが終わったら腰がむちゃくちゃ痛くなる。腰の力で音程をつくっていく。後になって、じわじわと意味がわかりました」
1986年にはNHK銀河テレビ小説『まんが道』で主演。
「先輩たちに言われたのは“主役は小さな芝居をするな、脇がちゃんとおまえのために仕事しているんだから”ということ。江守徹さん、犬塚弘さん、イッセー尾形さんたちが、僕の芝居に合わせてくれる。台本は当然あるのに、普通に会話をしている感覚に陥らせてくれる。脇役は普通にしているだけで主役を光らせるように仕事をする。こういう人たちのようになりたいと思いました。人として後進に向けて発するものが、どういう意味を持つかということを教えてもらいました」