やんちゃな跡取り息子としっかり者の妻

小学校に入ったばかりのころの原口さん。丸刈りではだし、いかにもやんちゃそう!
小学校に入ったばかりのころの原口さん。丸刈りではだし、いかにもやんちゃそう!
【写真】卵は8個分使用!皿からこぼれ落ちそうなボリュームのたまごサンド

 原口さんは出身地である佐賀県を愛している。喫茶アメリカンの店内を見回すと、2007年に母校・佐賀北高校が甲子園で優勝したときの横断幕や、佐賀県の観光ポスター、地元スポーツチームのグッズを目にすることができる。サンドイッチを提供する皿も有田焼だ。時にはJリーグ・サガン鳥栖のユニフォームTシャツで店に立つことだってある。

 原口さんの両親は共に地方公務員で、姉と弟がいる。

「家族の話をしだしたら、いろいろ面倒くさいんだよな。俺の姉御も腹違いやし……。2年ぐらい前に死んだいとこなんかさ、いとこだと思ってたら、実は俺の腹違いの兄貴だったんだって。そんなの死んでから聞いてさ……。俺の家族はいろいろあるんだよ」

 饒舌な原口さんが、急に訥弁になる。

 両親は共に再婚。原口さんの本当の名字は、江頭だという。佐賀県出身のタレント、江頭2:50と同じ。江頭は佐賀県に多い名字で、県内には約4000人の江頭姓がいるといわれる。

「親父は養子に入って名前が変わったけど、本当だったら俺は江頭誠だった。原口家に子どもがいなくて、親父が養子に入ることになった。ややこしいのは、おふくろも養子に入ってるんだよね。70年前って、そういうことを普通にやってたんだよな」

 原口さんが生まれたとき、一族は喜びに沸き立ったという。ようやく生まれた跡取り息子として、それは大事に育てられた。

「うちのおふくろが言ってた。おまえが生まれたときは、親戚中が集まって毎日飲み会で大騒ぎやったよ、と」

小さいころは何をやっても三日坊主

高2のころビートルズが来日。黒板に歓迎のメッセージを書いた
高2のころビートルズが来日。黒板に歓迎のメッセージを書いた

 幼い日の原口さんが写るスナップが店内に飾られている。当時、とても高価であっただろう乳母車に三輪車、そして鯉のぼりと共に写る坊ちゃん然とした原口さん。その鯉のぼりの大きさが、原口家の喜びと期待を表している。

 天真爛漫に育った原口さんは“小さいころは何をやっても三日坊主だった”と笑う。そんな原口さんが生涯の妻、京子さんに出会ったのは、今から60年ほど前、中学生のころであった。

「嫌なんだよなあ、その話するの!(笑) あいつとは地元の中学で同じクラスだった。12歳ぐらいからお互いに知ってるんだよな。あいつは言うならば高嶺の花。勉強はクラスでいつも上位だったよ。俺が10番目ぐらいをウロウロしてるときにさ。いつだって俺のほうが下なんだよね」

 原口少年は優等生の京子さんに淡い恋心を抱いていた。

「あいつは勉強ができるから、佐賀でいちばん頭のいい高校に行った。俺はやっぱりかなわないから2番目の高校に行って、ずっとケンカに明け暮れてたね(笑)。あいつはすごいよな。一緒に東京に出てきてからも、大学の独文学科なんかに進んで、いい勤め先に内定しちゃってさ」

 やんちゃな原口さんとしっかり者の京子さん。その結婚には反対の声もあったというが、押し切った。長い付き合いである糟糠の妻に、原口さんは頭が上がらない。