他の男とも付き合ってた
「でもさ、かあちゃんは大学時代、他の男とも付き合ってたんだよ。部屋で鉢合わせしたこともある。あの人はなんかモテたから、そういうのはいくらでもあるよ。まあ、ちっちゃいことだけどな。黙ってようと思ってたけど、俺もいつ死ぬかわからないし」
“気にしてないけどな”と何度も繰り返す原口さん。
「あいつはすごいんだよな。マンション売って団地で暮らしていたとき、うちに保険のセールスレディーが来たわけ。そうしたら、かあちゃんのほうが全然知識があって、相手をやり込めちゃったんだ。相手もびっくりだよ。それで“すごくよくご存じですね。よかったら一緒にやりませんか”なんて誘われてさ」
それをきっかけに、京子さんは保険のセールスの仕事を始める。最初は子育てと両立させるために週2~3日のパート勤務だったが、その優秀さをすぐに認められ、本社の正社員として働き始めた。
「俺が店をやってて食えないと思ったから、保険会社で働いてくれたんだよ。こんな親父のもとで、子ども2人も育てきれないと思ったんだろうな。本当に食えなくて生活保護の申請を考えたこともあったよ。まぁ、かあちゃんと娘が稼いでたから、ダメって断られるのはわかってたけどね」
開店当初からバブルの崩壊を経て現在まで、不安定な客商売を支えたのは京子さんの固定収入だった。それだけではない。店の経理を担当してきたのも京子さんだ。会計ソフトもない時代から、そろばんをはじき大学ノートに数字を記す、昔ながらの経理で店を支えた。税務調査に訪れた税務署員から“ものすごくきちんとした帳簿です。申告漏れは一切ありませんでした”と褒めたたえられたことも。
数字の苦手な原口さんは“俺は今も原価計算ができないけどな~”と舌を出す。経営も夫婦関係も、順風満帆で来たわけではない。離婚届も何回書いたかわからない。
「今はさ“もう、おまえにいい人いたらどこか行っていいよ”なんて言ってるんだよ。俺は勉強もできない、金もないしさ。まぁそれでも昔は違う魅力がいっぱいあったんじゃないの? 若いころの俺はなかなかカッコよかったしさ」
佐賀一の進学校に進んだ優等生は、原口さんのやんちゃな脱線人生を見て嘆息し、あきれながらも、決して別れなかった。その理由は何か?
「私って優しいから、見捨てられないのよ(笑)。それにまじめだから“最後までやらないと”って思っちゃうタイプなの。第一、この人、お金ないじゃない? 私が放り出したら生きていけないでしょ。この人の妻なんて、私だから務まるんだと思うわよ」
と、京子さんは笑う。素直な言葉は出なくとも、お互い惚れ合い、温かく支え合って生きてきた60年間が透けて見えるようだ。
大企業を辞め、喫茶店をやりたいという夫に対しても、京子さんは何も言わなかった。“本人がやりたいって言うんだから”と応援した。次女がアメリカ留学したいと言ったときも賛成し、1人で学費を工面したのは京子さんだ。次女が大学時代にアメリカで過ごした学費や生活費の総額は2000万円を超えたという。
「“お金、大丈夫?”なんて娘が言うから、“昔から日本には、金は天下の回りものっていう言葉があるんだから、どっかでお金が回るのよ”と答えたわ。今じゃ次女がすごい働いて、何倍にもして返してくれてるのよ」
そう語る母の横で、長女の真実さんはつぶやく。
「お母さん、頑張ったよね」
“私ももうゆっくりしたいわよ”と、笑いながら語る京子さんだが、保険会社を定年退職した今では毎日、真実さんと共に店を手伝っている。もちろん素直になれない夫婦2人のこと、口ゲンカは日常茶飯事だ。
「常連のお客さんにも心配されるほどなんですよ(笑)」
と真実さんが打ち明ける。
「でも父ちゃんが、お客さんに“一緒に写真を撮ってください”なんて言われているのを見ると、やっぱりすごいなって思います。うれしいね、頑張ってきてよかったねって。母もきっと同じ思いで今お店を手伝っているんだろうな。父にはこれからも、身体に気をつけて長くお店を続けてほしいですね」(真実さん)
店内には、原口さんと京子さんの若いころの写真が張られている。どこで撮ったのかと尋ねると2人から同時に“佐賀”と答えが返ってきた。
「若かったよね。22歳ぐらいかな」
遠くを見つめる京子さんに原口さんもうなずいた。