言葉を失っても変わらないもの
介護サービスを利用しつつ、在宅で彰さんを介護。しかし寝たきりの現在よりも、コロナ罹患前の時期が精神的に最もきつかったという。
彰さんは身長180cmと大柄だ。床に座り込んでしまえば沙代子さんひとりで立ち上がらせることはできないし、排泄(はいせつ)の介助にも大きな労力がいる。
トイレを済ませ、紙パンツをはかせて、急いで自分の用事に取りかかろうとした瞬間に彰さんが排泄をしてしまったとき。ソファからずり落ちて、抱き起こそうと思っても重くてまったく持ち上がらないとき。沙代子さんのどうにもならない感情が爆発した。
「力任せに彰さんを押して、暴言を吐いてしまったことも。そのあとは罪悪感でいっぱいになり、彰さんを抱きしめ、泣いて謝ることの繰り返し。
『私もつらかったんだよ』と伝えると、しゃべれなくても小さくウンウンと頷(うなず)く姿に、涙が止まりませんでした」
このころ、かかりつけの神経内科でも主治医に「もう無理です」と訴えた。言葉を発した瞬間に涙があふれ、医師からは抗うつ剤を処方されたという。
「心身共に限界を迎えていたと思います。でも気持ちを吐き出したことで、心が軽くなっていきました」
介護の現場で働いてきた沙代子さんは、彰さんの介護が今、最後の段階に差しかかっていることを感じている。自力で歩いたり、会話を交わすことは叶(かな)わないが、ベッドに横たわる彰さんを見守る表情は穏やか。
「介護は、結婚や出産と同じ人生のステージ。症状が進んでいくのをそばで見ている怖さはありますが、今は少しでも平穏に、ふたりの時間を過ごしたいです」
こうしてメディアの取材を受け続けるのは、彰さんとの約束があるからだという。
「まだ病気について話すことができたころ、『自分の意思がなくなっても、人の役に立つなら病気のことを発信してほしい』と言っていたんです。認知症の自覚はなくとも、漠然とした不安の中にあったはずですが、医療に携わってきた人間として、最後まで人のために何かしたいのでしょう」
認知症によって生活は大きく変わったが、症状がいくら進んでも、彰さんのやさしく几帳面(きちょうめん)な性格は変わらない。
「私の首元のファスナーが開きすぎていたり、袖がまくれていると、黙ってベッドから手を伸ばして身だしなみを整えてくれます。気になるんでしょうね(笑)。
旅行やドライブなど楽しい思い出は多くありますが、こうして最後まで穏やかな時間を一緒に過ごせたことに感謝しています」
取材・文/中村未来 写真提供/塚本沙代子さん