運命の出会い
彼は、アパレル関連の大企業に就職していた。
「実は私、困ってるの」
A君に打ち明けると、彼は自分の会社のプレスルームを紹介してくれた。そして、美里に衣装を貸し出してくれることになったのだ。
何度か彼と会ううちに、彼のほうから「付き合ってくれないか」と言われ、交際がスタートする。忙しいテレビ番組の合間に時間を見つけて2人は会った。あるとき、「結婚してほしい」と彼から言われた。
しかし、まだタレントデビューしたての美里は、その申し出に応えるわけにはいかなかった。
駆け出しのタレントに「彼氏がいる」こと自体とんでもない時代。もし恋愛が知られたら、始まったばかりのタレント人生はいきなり終わってしまう。
「婚前交渉なんてとんでもない、といわれていた時代ですからね」
美里は泣く泣く彼に別れを切り出した。その後、彼はロンドン支社に異動となり、離れ離れに。2人の恋が実ることはなかったのだった。
それから彼のことを思い出すことはなかった─。
父も自分も芸能人、芸能界の中で生きていくしかなかった。普通の会社員と付き合うことなんて考えられなかった。
「きっと自分は芸能界でしかうまくいかないんだ」
そして、いつの間にか美里は20代でレギュラー7本を抱える売れっ子になっていた。
そんな彼女に電話番号を書いた紙を渡したのは、15歳年上のタレント堺正章だった。
「私、電話番号を書いた紙を受け取ったのは、後にも先にもこのときだけ(笑)」
堺は境遇も美里と似ていた。コメディアンの堺駿二の次男で、グループサウンズの『ザ・スパイダース』のメンバーであり、ソロ歌手として、また俳優、司会者、コメディアンとして多方面で活躍。美里との相性は良かった。
「自分の幸せは芸能界にしかない」
美里はそう信じることにした。そして、'89年、28歳で堺正章と結婚。2人の娘に恵まれた。
“カリスマ主婦”と呼ばれて
子育ての傍ら、美里は得意としていた料理、手芸、編み物、インテリアコーディネートなどが女性誌に紹介され始める。それが注目を集め、次々と雑誌で特集が組まれるようになっていった。
「クリエイティブなことが大好きだったので、雑誌の誌面づくりも楽しめました。反響が大きくて驚きましたね。『ミセス』では15ページの特集も手がけました。面白かったですよ。
たまたま娘のために手作りしたトートバッグを持って編集部に行ったら、“美里さん、そのバッグどこで買ったんですか?”と聞かれて“自分で作ったんですよ”と言ったら“いいですね。その作り方をやりましょう!”という感じでどんどん新たな企画になっていくんですよ。今考えるとライフスタイルを紹介する、そういう人がほかにいなかったんでしょうね」
多くの連載を抱え、資生堂、花王ソフィーナ、味の素など数々のCMにも出演し、「婦人女性誌の表紙を最も多く飾った女性」(婦人画報等)に3年連続して選出され、いつしか“カリスマ主婦”と呼ばれるようになる。
'99年には、ライフスタイルを提案するスクール『アトリエミリミリ』を開講。タレント業と並行し、パン教室の講師やテーブルウエアをはじめとする生活用品のデザイナーとしても活躍する。
また、紅茶ソムリエ、紅茶コーディネーターとしても活躍。'06年にはデンマーク王室御用達、創業1835年の老舗紅茶専門店の世界初の支店を日本に進出させるなど、タレント活動とは別の実業家の顔も見せるようになっていく。しかしその一方で私生活では、'01年に堺と離婚。
その際には、毎年お中元やお歳暮が山のように届き、それに閉口したことなどがワイドショーで語られたが、
「そんなことで離婚なんかしませんよ(笑)。でも、彼に対する悪口は絶対に言いたくなかったし、言いませんでした。堺さんにはもっと活躍してもらいたかったんです。だから別れました、ということなんですね」
その後、'03年にスポーツインストラクターと再婚するが、'08年、再び離婚する。