実業家として腕を振るうが……
美里の父親のエリックさんは、日本人の父とデンマーク人の母を持つ。そんなことから、美里もデンマークとの縁は深い。実は世界的な観光名所として知られるデンマーク・コペンハーゲンの「人魚姫の像」。この像のモデルとなったのが、美里の祖母の姉、リグモア・シーヴァルセンだった。つまり、父エリックさんの伯母である。
エリックさんは、'00年にパーキンソン病で亡くなっている。71歳だった。
「父はすごくいいお父さんで、いつも家にはジャズや洋楽が流れていて、父に連れられてパーティーに行くと、私はよくスカウトされたりしてましたね。ロサンゼルス五輪のオーディションをすすめてくれたのも父でした。
『ニューラテン・クォーター』などの有名なナイトクラブの専属司会者だったから、ナット・キング・コールやサミー・デイヴィスJr.、コニー・フランシスなどの世界的スターも見ることができました」
叔父の岡田眞澄さんは、俳優としてだけでなく、タレントとしても人気を集めたが、'06年、食道がんで70歳で亡くなっている。叔父との思い出も聞いてみた。
「子どものころ、叔父に東京タワーに連れていってもらったことがありました。ダンディーでしたね。待ち合わせの場所に行ったら、真っ赤なポンティアックのオープンカーで現れて(笑)、叔父が独身のころ、家に遊びにいったこともありましたね。フランス風のインテリアでバラを飾っていて素敵でしたよ」
ちなみに眞澄さんは、3度結婚しており、3度目は'95年に26歳下の客室乗務員の女性と結婚。'98年に岡田朋峰さんが誕生している。彼女は、ミス・インターナショナル'19の日本代表を務め、現在タレント、モデルとして活躍中。美里とは40歳近く年の離れたいとこである。
'08年、デンマークからの依頼により、カスタマイズジュエリーの『トロールビーズ』の輸入総代理店の代表取締役に就任する。“カリスマ主婦”として圧倒的な知名度を誇る美里の手がけたジュエリーショップは、多くの顧客がリピーターとして定着し、新店舗を次々と大都市の百貨店にオープンさせた。中でも銀座店は世界一の売り上げになるほどだった。
実業家としての道を歩み始めた美里だったが、一方で慣れない事業に疲労困憊の日々が続いていた。
「15年前ですね。私が疲れ果ててマネージャー的な存在だった副社長の女性に愚痴をこぼしてたんですね。順調のように見えて、実はとても余裕なんてなかった」
すると副社長がこう言った。
「美里さん、あなたはみんなの憧れの存在なんですよ。美里さんがそんなふうに落ち込んでちゃダメ。恋をしてください、恋を!」
何を言い出すんだろうこの人は、と思ったと美里は笑う。
「私なんてダメよ」
「誰かいないんですか? 昔の知り合いでも、いま独身の人はいないんですか?」
そのとき美里の心に浮かんだのは、思いを残しながらも別れてしまったA君の顔─。
「それで彼女に、彼がアパレル関係の企業に勤めていることなどを話したら、彼女が“その会社に知り合いがいます”と言うので、あれよあれよという間にその彼の連絡先までわかったんですね」
その副社長だった藤井チカさん(57)は、現在、あるアーティストのマネジメントをしているが、彼女も当時のことをよく覚えていた。
「あれは新幹線の中でのことです。出張の帰りで新神戸から品川までの新幹線に乗っていたら、大阪までは美里さん元気ないなあ、という感じだったんですね。京都で“いい人いないの?”と聞き始めて“そういえば1人いるかも”と名古屋あたりで彼氏の名前が出てきたんです。
で、私がその企業の知り合いに電話して彼氏さんの電話番号をゲット。美里さんに伝えたんです」
品川に着いて美里は、エスカレーターの下から上を見上げて、
「今、どん底だけど、これからは上るしかないものね」
と晴れ晴れしい笑顔で言ったという。