母親の介護のため山梨へ移住
実は、母は美里が16歳のときにエリックさんと離婚し、家を出ていた。美容や健康関係の仕事をバリバリしていた母は、すごく変わった人だった、と美里は振り返る。
「自己中心的な人ですね。ほかの普通のお母さんと全然違っていてね。そんな母だけど、ほかに身寄りはないし、病気になったら、誰かが面倒をみないといけない。
私は一緒に住むのはとても嫌だったけど、私しかいないと思った。母は病気のため、車イスじゃないと生活ができない。そのときに“あ、山梨の別荘がある!”と思い出したの。そこで、バリアフリーの山梨の別荘に移ることにしたんです」
それまでは、美里は東京・世田谷の一軒家に1人、大型犬と暮らしていた。ときどき、彼が来てくれたが、彼も実家で母親と2人暮らしだったので、一緒に暮らしていたわけではなかった。
でも、山梨に行ったら彼と離れ離れになってしまう。そこで彼に打ち明けたのだった。
「せっかくここまでやってきたけど、親のことを先にやらないときっと後悔する。理解してほしい」
Aさんも美里の「覚悟」に賛成してくれた。美里が生まれて初めて占いで方位を調べてみると、「真西に行け」と出た。東京から真西といえば山梨である。そしてタロットをやってみたら「引っ越し」と出た。母の分もやってみたら、これまた「引っ越し」と出たのだ。そして「一番いい日」は「8月23日」─。
東京に2か所あった刺しゅう教室をたたみ、山梨へ引っ越し。荷物を詰め込んだ段ボール箱は120個にもなったという。美里は初めて3週間、仕事を休んだ。
'19年8月23日。美里は山梨への移住を決行したのだった。それから10日後のことだった。とんでもないニュースが飛び込んできた。美里たちの後に『トロールビーズ』を引き継いだ会社が一気に日本中の店舗を撤退したというのだ。デンマークの本社から「もう一度やってくれないか」と連絡が来た。
なんでもデンマークの会社には、美里のファンだった顧客から「オカダミリさんに復活してもらいたいです」という内容の、翻訳ソフトで作られたメールが50本以上も届いていたらしい。
美里とAさん、最近仲間になったデンマーク人の3人で集まり、「私たちがやらなきゃ、ほかの人ではできない」と意見がまとまった。結局、彼の会社で『トロールビーズ』を運営することになった。現在、代々木の路面店1店舗、そしてネット通販で販売を行っている。
コロナで変わった結婚観
それは、'21年の年末のことだった。コロナウイルスがはなおも猛威を振るっており、この年の11月には、日本国内の累計死者数は2万人を超えていた。
ある晩、仲良くしていた木こりのおじさんが山梨の家に遊びに来ていた。ほかにも何人か集っていたときのこと。そのおじさんが突然目の前で倒れたのだ。慌てて救急車を呼び、一緒にいた女性が付き添いで病院に向かった。
あとで美里が病院に行ってみると、その女性が病院の外で寒さに震えていた。
聞くと「おじさんは脳梗塞だったらしい。でも今はコロナの心配があるでしょ。あなたは他人だから一緒には入れないと言われたの」と言う。
仲良しだったものの、おじさんの本名も知らない。病院も親族じゃないと名前も教えられないというではないか。夜になってから、おじさんの親族が来た。
しばらくして、回復したおじさんは、「みんなのおかげで助かった。自分は三途の川を渡った。花畑も見えた」と言っていたという。
そこで美里は、自分とAさんのことを考えた。事実婚ではあるが、家族も周りの人も2人は夫婦と同じと思っているはずだった。でも、実際に彼が入院したら、家族じゃない自分は病院に入れない。そんな自分の“未来”が頭によぎったのだ。
「─私は他人なんだ」
これはものすごくショックな出来事だった。
それから数か月後のバレンタインの夜─。美里は彼とその話をしながら急に「結婚しようか」いや「結婚しなきゃ」という思いが込み上げてくるのを感じたという。それまでも、周りから「結婚しないの?」と聞かれるたびに「全然考えていない」と答えていた。事実婚で何も問題ない。なのに、今は急に怖くなっている自分がいた。それは彼も同じだった。そして「結婚しようか」となったのだ。
「以前のように、また世間を騒がせるのも嫌だったし、そっとしておいてほしかった。でも、やはりけじめはつけておきたいと思うようになった。まあ、それでも“コロナ婚”になるんでしょうね(笑)」