そこで、総合診療医研修の受け入れ先を探す必要があった。体力をつける必要もある。しかし、最も大変だったのは、20代のときに免許を取得したものの、弟から「二度と運転するな」と言われて封印していた車の運転だった。
運転が一番大きな負担だった
都会の走りやすい道とは違い、外灯もない真っ暗な道や携帯の電波が通じないエリアを走れるようにする必要もある。
「人生で35年は運転ができないと思い込んでいたので、“運転をしなければならない”というのは一番大きな負担でした。こんなことを言うと、『医療じゃないのか?』と言われそうですけど、『今まで努力したことは何?』と聞かれたら、『運転』と答えるぐらい努力しましたね。だけど、最近の教習所って昔のスパルタ式と違って、褒めて伸ばすスタイルなんですよね。『お上手ですね』なんて、いい気分にさせてくれて(笑)」
香山さんの朝は早い。7時半前に診療所に到着。病棟の回診や朝の勉強会を終えると外来診療が始まる。身体に疾患があって薬をもらいに来る高齢者もいれば、手に釣り針が刺さったと釣り人が来ることもある。
「ありがたいことに今は何でも動画に上げてくださる先生がいらして、患者さんに『ちょっと待ってて』なんて言いつつ、『釣り針刺さった 抜き方』とかって検索したりしています。 若いときはわからないことが恥ずかしいとか、失敗したらどうしようと思っていましたが、今は平気で『できない』と言えるし、狡猾にもなってくる。できないフリをして研修医にやってもらって、『おばちゃん助かったわ~』みたいな」
人間関係もある程度、経験を重ねると、いちいち傷つかない。ソリが合わない人がいても、柔軟かつ適当に対応できると香山さん。今まで培ってきたキャリアを、こんなふうに生かすこともできる。
「これは良しあしだと思うんですけど、精神科医としての刷り込みからか、患者さんに生活背景やこれまでの人生を聞いてしまうんです。いきすぎると身体の病状を見逃してしまうので気をつけなきゃいけないのですが、それがいい具合に作用することもあって。例えば、その方の生活の中でのストレスや、人生のたまりにたまったつらい出来事などに対し、精神科医的なアプローチができることもあるんです」
穂別で暮らすうち、多くの人が一芸に秀でていることもわかってきた。重機を操って庭を造る人、ペットとして馬やポニーを飼っている人、即興でジャズを奏でる人……。
「穂別は恐竜の町だから、化石の収集が趣味の方も結構いて、知識量もすごいんです。作業服を着たおじさんが、化石を見て『これは、〇〇層だね』と言い出したり、“読み書きもできない”という方が、含蓄のある死生観を語ってくださったり。私は長らく、偏見はいけないと言ってきましたが、ギャップを感じるたび、学歴や身なりで人を見ている部分があったのかもしれないと反省しているんです」
散歩の概念も変わった。東京に居たころはカフェなどの目的地を設定していたが、今は無目的にぶらぶら歩く。その途中でシマエナガに出合ったり、山菜を見つけることもある。
「ご高齢の方が、『昔のほうが野菜の種類が多かった』とおっしゃるので、どういうことかと思ったら、昔は食べられる山菜が山にたくさんあって、その都度、必要な分だけ採りに行っていたそうなんです。SDGsというか、豊かですよね。
東京に住んでいると、マンション1棟の中にも知らない人が住んでいたりしますが、こっちは住所をきちんと書かなくても郵便が届くし、保健師がほとんどの住民を把握していますから取り残されている人もいない。若い人だとプライバシーがないと思うんでしょうけれど、北海道の人ってわりと個人主義で、そんなに人のことを詮索しないんです」