バービーボーイズはその後、破竹の勢いでヒットチャートの常連に。しかし、方向性の違いから1992年に解散したあとは、歌うことから離れようとしたこともあった。
「私はバービーに入れたからプロになれただけ。商社時代の仕事のできる先輩を尊敬していたので、専門学校でスキルを身につけて、“プロのOL"になってみたいという思いも本当にあったんです」
大学生のころは157cm、63kgの“迫力ボディ"
杏子さんの母は「これでお見合いをして結婚してくれる」と、期待していたそうだ。
「母は私が歌っている歌詞に出てくる強い女性像が嫌だったみたい。近所にも『本当はああいう子ではない』って言って回っていて。確かに私は母に似て心配性だし、自分に自信があるタイプではなくて。ただ、自分が歌った歌詞にどんどん洗脳されたのか、本当に強くなりましたけどね」
それでも引退を選ばなかったのはライブの楽しさが忘れられなかったからだと語る。
「お客さんからパワーをもらい、思いがけない歌い方や動きができて、自分の新しい面を発見できる場なんです。歌に自信があるわけではなかったけれど、ファンの方が歌を聴いて元気になったと言ってくれるのもうれしくて」
プロデビュー後の苦い経験から、チャンスが来たときにモノにできるよう、自分を磨いておくことが大事だと痛感したという杏子さん。長年、身体づくりとボイストレーニングには妥協を許さない。
「肺活量がないと声が出ないですし、ライブツアーには体力も必須。ジョギングや水泳、ジム、ヨガなどいろんな運動をしました。身体が楽器なので飽きっぽい自分にムチ打って続けるんです(笑)」
スレンダーな体形をキープしているが、大学生のころは157cm、63kgの“迫力ボディ"だったそう。
「昔の履歴書には体重を書く欄があって、就職活動のときには59kg。デビューしてからは男子メンバーが全員細いので、ロングスカートでコンプレックスだった太い脚を隠し、演奏中にスカートをヒラヒラさせたのが、今のステージスタイルになったんです。フラメンコを習い、ライブ中にストールを回しながら踊れるようになったのは、そんな葛藤の賜物でもあります」
独特のハスキーボイスをキープするため、喉のコンディションにも細心の注意を払う。
「やっぱり声がかれやすいんです。バービー時代、喉のコンディションのデータを2年間つけてみたら、睡眠不足でも声が出る日もあったり、体調との関係はあまりなくて。あるボイストレーナーから、声はメンタルの影響が大きいと聞き、ちょっと納得しました。私は普段は平気なのに、少しでもうまくいかないことがあると、ネガティブ思考に陥りやすい。今は自分なりのリラックス法を見つけるようにしています」
ストレスをためないよう、食べたいものを食べ、お酒も飲むという。
「お酒はすごく飲みます! バーでひとりで飲んでそうなイメージを持たれがちですが、食事のときに飲むのが好きなので、2軒目とかにはもう行かないです」
美術館で江戸中期をはじめとする絵画を鑑賞するのも、杏子さんの趣味のひとつだ。
「自分に優しくできるようになり、やっと“自分のテンポ"がつかめるようになりました。喉に小さい声帯ポリープもあるのですが、定期的に医師の診察を受け、切らずに上手に付き合っていくことに。5年前、新たに出会ったボイストレーナーの先生のおかげで、維持できています」