築地の10坪の小さな寿司店から「すしざんまい」へ
事業を清算し、手元に残ったのは300万円。うち200万円で築地に寿司店「喜よ寿司」を開いたのは、1997年。10坪の小さい店からの再スタートだった。
回転寿司より品質が良く、高級寿司店より手頃な価格で食べてもらいたいと、これまでの人脈とノウハウを生かして、新鮮なネタを仕入れ、リーズナブルな値段で提供することにした。
木村さんの原点は、幼いころ家族で分け合った2切れのマグロ。多くの人に、おいしい寿司を安心して食べてほしいと思ったのだ。「喜よ寿司」の評判は口コミで広がり、行列ができる店となった。さらに、コンビニや弁当店など経営を広げていった。
しかしバブル崩壊後、築地は観光客が激減し、空き店舗も目立つようになっていた。ある日、築地場外市場にある老舗の食器店のオーナーが訪ねてきて、懇願された。
「土地を貸すから、もう一度、築地に人を集めてくれないか。保証金は儲かってからでいい。木村さんの仕事ぶりをずっと見てきて、君ならできると思ったんだよ」
新洋商事に入社以来30年、築地は木村さんにとって常に学びの場であり、成長の場であった。
「築地復活のために、恩返しのつもりでやろう!」
木村さんは決意し、そして考えた。どうやって築地に人を呼ぶか? やはり魚、寿司だ。どんな寿司店なら喜ばれるか? お客様が、食べたいときに食べたいお寿司を、安心して食べられる寿司店はどうだろう。そのためには、24時間年中無休営業、ネタは常に新鮮なものを75種類以上、メニューは150以上そろえよう。
2001年、ついに寿司店「すしざんまい本店」は誕生した。
この木村さんの挑戦を評価してくれたのが、現在では小説家として活躍している江上剛さんだ。江上さんは当時みずほ銀行築地支店の支店長で、融資先を探して築地を歩いていた。
「流行っている店があったんです。それが『喜よ寿司』。24時間営業の『すしざんまい』もやっていました」
と、江上さんは当時を振り返る。
「24時間営業の寿司店というのに興味を持って、朝・昼・晩と自費で食べに行ってみたのですが、いつ行っても鮮度のいい寿司を出していた。従業員がまじめできちっとしていたのも、好印象でした」
築地の近くには、不夜城の新聞社、テレビ局、大手広告代理店などがあり、これらの会社の人たちで深夜の「すしざんまい」はにぎわっていた。江上さんは、画期的な寿司店だと興味を持ち、木村さんを訪ねた。そのときの会話を今でもよく覚えている。
「木村社長は、元気よくニコニコと出てこられて“おいしい寿司を提供したい”と熱い思いを語られたんです」
木村さんは「喜よ寿司」「すしざんまい」のほかに、弁当店なども経営していた。
「私は“寿司屋1本に絞ったらどうか。それであれば、ぜひ融資をさせていただきたい”と申し出ました。木村さんは“わかりました”と即断でした」
木村さんはすべての人材を「すしざんまい」に注ぎ、融資を受けてほかの店舗も展開した。江上さんは銀行員として“挑戦する人を応援したい”と決断し、木村さんにはその応援に応えて、店を大きくさせていった。「すしざんまい」の繁盛をきっかけに、築地に人が戻り、周囲の寿司店にも客足が増え、街に活気が戻ってきた。
その後、銀行を辞めて作家となった江上さんは、コメンテーターなどでテレビにも出演。テレビ局のスタッフを連れて食べに行ったこともある。
「相変わらずおいしくて、あのとき融資をしてよかったと思いました」