助監督から監督へ。そして師匠との別れ

『十一人の賊軍』の撮影現場。爆破の轟音と血しぶきが飛び交うオープンセットの中、鋭い視線でモニターをチェックしながら白石は、「ここに来る山道がワクワクした道に見える」
『十一人の賊軍』の撮影現場。爆破の轟音と血しぶきが飛び交うオープンセットの中、鋭い視線でモニターをチェックしながら白石は、「ここに来る山道がワクワクした道に見える」
【写真】映画の世界で生きることを決めた高校時代の白石和彌

 そんな白石を奮い立たせるような事件が起きる。

 それは予算のない短編を3日間で撮らなければならない現場での出来事。スタッフも少なく、撮影を終えても白石たちは、連日徹夜で翌日の準備をしていた。

 すると当時、注目を集め天狗になっていたその監督は、太鼓持ちのような俳優たちを相手に、

「あいつ寝ないでよく働けるよね」

 と、白石のことをバカにして笑った。

「言われたときは腹が立ち、殺意すら覚えました。こんな監督のためになんで一生懸命やっているんだろうと悲しくもなりました」

 結局、できあがった作品は箸にも棒にも引っかからないくらいつまらなかった。このときのはらわたが煮え繰り返るような経験から、

「こいつよりも面白いものを必ず撮ってみせる」

 そんな闘志がフツフツと湧き上がってきた。

 白石は助監督の仕事をスッパリやめると、あちこちで、監督になります、と宣言する。すると白石の仕事ぶりを評価するプロデューサーから映画の企画開発を手がける仕事が舞い込んできた。

 白石に声をかけたのはIMJエンタテインメント(現在のC&Iエンタテインメント)。

 この会社は、『ジョゼと虎と魚たち』('03年)や『NANA』('05年)などで知られ、毎月、数百本の映画企画やシナリオが持ち込まれる大手の映画製作会社である。

 ここで白石は、監督デビューするためには欠かせない脚本作りに参加する。

「犬童一心、佐藤信介たち、脚本作りのうまい監督たちと仕事することで脚本のイロハを学ぶことができました」

 このときの仲間に、『ロストパラダイス・イン・トーキョー(ロスパラ)』('10年)、『凶悪』、『ひとよ』('19年)でタッグを組む高橋泉や、『孤狼の血』シリーズ、『十一人の賊軍』、『極悪女王』でタッグを組む池上純哉(54)たちがいた。

 デビュー作『ロスパラ』にこそ、映画監督・白石和彌のすべてが詰まっていると語るのは、同作でプロデューサーも務めた大日方である。

「この作品には、底辺に生きる人たちへのまなざしや人間の多面性、不条理や反権力といった、白石が根っこの部分に持っているものがよく表れている。この作品を見て白石は監督としてやっていけると感じました」

 白石自身も今作で忘れられない思い出がある。

『ロスパラ』の試写を見た若松監督が開口一番、

「白石、寝なかったぞ」と言って褒めてくれた。

 白石もまた、若松監督の志を受け継ぐ者のひとり。 心底うれしかった。しかし若松監督と過ごす時間は、もうあまり残されていなかった。

 '12年、若松監督は交通事故でこの世を去る。くしくも白石が2作目『凶悪』の撮影に入る間際のことだった。若松監督の死は白石の青春の終わりを告げる出来事でもあった。