養成所に入所したのは13歳
実は山口はJAC(ジャパンアクションクラブ)出身。養成所に入所したのは13歳のとき。
「『宇宙刑事ギャバン』('82年)を見て、あの“中の人”になりたいと思ったんですよね」
母親に相談したところ、JACの存在を教えてもらったという。当時のJACといえば、千葉真一さん、真田広之、志穂美悦子……錚々たるメンバーが在籍していたのだが、なんと山口少年は、
「恥ずかしながら誰も知らなかったですね。唯一知っていたのは、ギャバン役をやっていた大葉健二さん! “わー、ギャバンがいる!”って大興奮しました(笑)」
それでもしっかり合格し、15歳のときに養成所のすすめでオーディションを受け、“顔出し”の俳優に。デビュー作は、映画『クレイジーボーイズ』('88年)という少年院を舞台にした青春ストーリー。そこで“顔面凶器”の異名を持つ俳優・小沢仁志と出会う。
「初日からバチバチにシバかれて怖かったー!(笑)その後、ドラマ『十五少年漂流記』('86年)で主演をやらせてもらって。撮影は『クレイジーボーイズ』の後だったんだけど、アクションだけじゃなく、演じる楽しさを徐々に知っていきました」
養成所時代から数えると、今年で40年。今や本宮泰風、的場浩司、中野英雄とともに“Vシネネオ四天王”と呼ばれている。
「俺がネオ四天王? 笑っちゃうよね。自分としては、やっていたらそう呼ばれるようになった、という感じで。でもすごくありがたいし、うれしいです」
と照れ笑い。53歳になった現在もアクションはノースタント。Tシャツの上からでもわかる隆起した筋肉に、目は釘付けになってしまう。
「日課ではないけど、仕事が1、2週間空いたときは週5くらいでジムに行きます。撮影に入ると現場で動くので、ジムに行く気力が湧かないんですよね。若いころは行ってたんですけど。食事制限はまったくしてないです。酒は外でしか飲まない。でも飲みに行く回数も減ったし、早く帰りたい(笑)」
年を重ねても、キレのあるアクションがまったく衰えない理由を尋ねると、
「いやいや。若いころとは勝手が違ってきた部分はありますよ。頭の中では“こんな感じね”って思っているのに、40歳ぐらいからワンテンポ遅れている気がしてきて。あと本番後に“もう1回!”って言われると、すごく疲れる。“もういいだろう?”って思う(笑)」