吐き気地獄との闘い
しかし、衝撃はこれだけではなかった。さらに全身の検査をして明らかになったのは、大腸がんステージ4、肺への多発転移。手術は不可。できる治療は、化学療法(抗がん剤)のみという、厳しすぎる現実だった。
「膝から崩れ落ちるようなショックに襲われました。大腸がんだけでなく、肺への転移。死刑宣告を受けたような絶望感で、食べ物も喉を通らなくなり、死の恐怖に怯え、泣き続けました。家族もみな落ち込み、夫は痩せてげっそりしていきました……」
主治医から提案された治療内容は、4種の抗がん剤を投与し、さらにレボホリナートという作用増強の補助剤を足すというもの。くぐりさんはまだ若く、副作用にも耐えられると判断されたようで、最も強い抗がん剤のメニューに。
「医師の説明では、“抗がん剤が効いて肺の転移腫瘍が減れば、原発(直腸)も手術可能になる可能性がある”と。本当に不安しかありませんでしたが、生きるために治療を受けようと決意しました」
そんなときに心の支えとなったのが、がん緩和専門看護師と臨床心理士の女性2人だった。治療期間中、たびたび話を聞きにきてくれたという。
「主治医には相談しにくい悩みや不安を聞いてもらったおかげで、心の負担が軽くなりました。それに、私は末期がんという認識だったのですが、“ステージ4が一概に末期がんとはいえない”と教えていただいたことで、“まだ自分にはできることがある”と少し前向きになれました」
抗がん剤治療は、3泊4日入院し、点滴で投与。退院後2~3週間空けてまた入院というペースで、全26回行った。その副作用は想像を絶する過酷さだったという。
「私の場合は吐き気が強く出て、吐き気止めの薬をフルに使ってもダメで。抗がん剤が身体に入ってくると、涙、鼻水、つば、汗と、体中からいろんな体液が大放出。横になっていることもできず、少しでも身をよじると吐き気が襲ってきます。身の置き場がないとはこういうことかと」
さらに、点滴後は脱毛や味覚障害も。
「髪が抜けたのもショックでしたが、味覚障害がこんなにつらいとは思いませんでした。口の中が常に苦くまずく、水もお茶も、すべて異様な味に変わってしまうんです」
退院後も倦怠感や味覚障害が続いたが、次第につらい副作用が出るのは投与直後の1週間程度に。2週目から次の入院までの期間は身体を起こせる日もあったため、その休薬期間中に、一度は諦めかけた漫画の執筆を再開。このころには、気持ちにも変化が起きていた。
「仕事も辞めてやることがなくなったら、自分の内面を見つめるようになって。そうしているうちに、自分は幸せだと気づきました。がんになっても生きている、支えてくれる家族がいる、好きな漫画も描ける。以前は幸せになりたいと考えていましたが、すでに幸せだったんだなと」