目次
Page 1
ー まさに“梅干しの種”が
Page 2
ー 「豆を欠かさず食べていたら、まつげが生えてきた」
Page 3
ー ピンクリボンアドバイザーを取得

コロナ禍に乳がんが判明した、料理研究家の今泉久美さん。「親友も亡くしがんは遠い存在ではなかったから、冷静に受け止めることができました」ホルモン療法を経て、今は副作用や再発リスクを軽減させる食を研究する。「“がんになった自分”を生かしたい」 その思いに至った、治療の日々を聞いた。

「亡くなった妹が乳がんだと教えてくれたのではないかと今でも思っています」

 そう話すのは料理研究家としてテレビや雑誌などで活躍する今泉久美さん(61歳)。乳がんが判明したのは、コロナ禍の2020年秋だった。

まさに“梅干しの種”が

「その前年に亡くなった妹の法事の際に転倒して、左胸をあざができるほど強打しました。以来、左胸がなんとなく気になっていました」

 コロナ禍に入り検診にも行きづらい状況の中、乳がんだけは自分で見つけやすいからと、普段から胸を触るようにしていたと語る。そんなある日、左胸に強い痛みを感じ、くまなく胸を触ってみたら、内側の上部にしこりを見つけたという。

「何年か前にテレビを見ていたとき、乳がんを経験されたタレントさんが、しこりを“梅干しの種のよう”と表現していたのを思い出したのです。まさにそのとおりで、料理研究家の私には特にわかりやすい例えでした。自分の胸を触ることを習慣にしていたから、以前と違う感触で発見できたのかと思います」

 さらに前かがみになるとその部分にくぼみができるのを確認し、乳がんだと確信する。

「でも涙も出なかったし、意外に冷静でした。がんが遠い存在ではなかったからだと思います。一つは親友をかつてがんで亡くして、最後までそばで見届けさせてもらえたからだと思います。もう一つは乳がんや他のがんになった親族が何人かいたから。ただ、亡くなったときは老衰など、がんが原因ではなかったので、自分ががんになるとは思っていなかったのです。妹の法事での転倒がなければ、胸の違和感に早く気づけなかったかもしれません」

今泉久美さんは入院中の体調や、付き添ってくれた友人との会話などもノートに記録
今泉久美さんは入院中の体調や、付き添ってくれた友人との会話などもノートに記録

 治療は都内のがん専門病院を選んだが、最寄りにかかりつけ医を持つように指導されたため、提携先の中から通いやすい病院を選び、そこでマンモグラフィーやエコー、細胞診などの検査を行った。それらの病院選びから診察、入院、手術にあたっては、テレビ番組の仕事でお世話になった、三十数年来の友人が付き添ってくれたという。

「私は独身で、家族も行き来できなかったので、彼女がいつもそばにいてくれて心強かったですし、そのおかげで冷静さを保てた気がします」

 さらに、がんが判明してから毎日電話をかけてくれた親友や、冗談を飛ばしながら励ましてくれた仕事関係の後輩など、友人や知人が支えになってくれた。

「人間関係に助けられたと思います。入院中にも、3人の乳がんの患者さんと知り合い、現在も連絡を取り合っています。同じ病気の人との会話は退院した今も、私の心の支えになっています」