国産羊の消費量を増やしたい
羊飼い時代の河崎さんは、毎朝5時から家業を手伝いつつ羊を飼育し、さらに小説の執筆も行っていた。
「夜8時過ぎに夕ごはんを食べてから小説を書くこともあれば、疲れて仮眠を取って夜中の2時過ぎから執筆することもありました。当時は5時間も眠れればいいほうでしたね。振り返ってみると、時間的にも体力的にもむちゃをしていたなぁと思います」
多忙な毎日の支えとなっていたことのひとつには、心満たされる瞬間があった。
「この本の表紙のように、青空の下の牧草地で羊たちが、穏やかな雰囲気でおいしそうに牧草を食べる場面があったんですね。酪農家の遺伝子なのか、その様子を見るだけで気持ちが癒されました」
2010年から小説を書き始めて以来、河崎さんは牛の世話と、羊の世話と、小説の執筆と、家族の予定をこなし続けていた。
「いずれも私にとって欠けてはならないことなのに、心身はどんどんすり減っていきました。このままではいけないと悩む中で、私にとって一番大切なのは小説を書くことだと気づきました」
河崎さんは羊飼いとなって15年が過ぎた2019年に閉業し、自宅を離れて一人暮らしをすることになった。
「ありがたいことに、今では物書きの端くれとしてごはんを食べられるようになりました。睡眠時間は7時間程度は取れるようになりましたし、朝ドラはNHK BSで朝7時15分から放送のものから見ています。羊飼いのときとは全然違う生活です」
小説家として生きる道を選んだ今でも、羊には後ろ髪を引かれる思いがあるそうだ。
「また羊を飼いたいなぁという気持ちはかなりあります。自分の育てた羊をまた食べたいなぁって思うんです」
そう話す河崎さんに、おすすめの羊肉料理を教えてもらった。
「手に入りやすいのは冷凍のラムスライスです。ジンギスカンで食べるのもいいのですが、にんじんや玉ねぎといった野菜をたっぷり入れて赤ワインで煮込み、デミグラスソースで仕上げると、おいしくて身体も温まるんです」
河崎さんは現在、次のような願望を抱いているという。
「国産の羊肉は本当においしいので、たくさんの人に味わっていただき、消費量をガンガン増やしてもらいたいですね。本書を読んで羊のことに少しでも興味を持っていただけたら、とても幸せです」
教えて!最近の河崎さん
「実家を出て1年ほどで高齢の黒猫“なん”と暮らすようになり、その後、生後半年ほどの“ニコ”を迎えました。人間でいうとおじいちゃんとギャルくらいの年齢差があるものの、2匹はすごく仲がいいんですね。
私のひざにも布団にも乗ってくれないのですが、猫がいるだけで幸せです。以前の私は羊飼いでしたが、今は猫の下僕です(笑)」
河崎秋子(かわさき・あきこ)●1979年、北海道別海町生まれ。2012年『東陬遺事』で第46回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)、2014年、『颶風の王』で三浦綾子文学賞を受賞、同作で2015年度JRA賞馬事文化賞、2019年、『肉弾』で第21回大藪春彦賞受賞、2020年『土に贖う』で第39回新田次郎文学賞を受賞。2024年『ともぐい』で第170回直木三十五賞を受賞。
取材・文/熊谷あづさ