「もう死んだほうがマシ」

レコード会社との騒動を振り返り、ギターの小川は「悔しいし、むかつくし、モヤモヤ考える期間が長かった。だから自然と、4人でギュッと固まる感じはありました。立ち向かっていくために」と心境を明かした
レコード会社との騒動を振り返り、ギターの小川は「悔しいし、むかつくし、モヤモヤ考える期間が長かった。だから自然と、4人でギュッと固まる感じはありました。立ち向かっていくために」と心境を明かした
【写真】「バンドで何かを目指している状態」音楽に目覚めた中高生時代の尾崎世界観

 そんな時期に、さらに大きな事件が起こる。デビューから2年のタイミングで、レコード会社から提示された契約更新の条件に納得できず、移籍に踏み切ったことで起きた騒動である。移籍後、レコード会社が報復として、バンド側に黙ってベストアルバムを発売。寝耳に水だったクリープハイプは、「これはバンド側の一切知らないところで作られたものである」という声明を出したが、これが炎上のきっかけになった。

「初めて炎上を経験して、びっくりしましたね。『おまえらが悪いんだろ』と言われて。とにかく落ち込みました」

 騒動の渦中、唯一よかったのが、バンド内の結束が固まったことだと、メンバーは口をそろえる。ドラムの小泉は、「大変なほうに進みがちなバンド」だと、自覚したそうだ。

「自ら進んで茨の道を行く、というか。でも、共通の敵がバンドの外にできたので。このピンチを乗り切るためには、団結しないと無理だって。そこから積極的にコミュニケーションを取るようになって、だんだん同じ方向を向くようになりました」

 だが、騒動が原因となり、今の4人になって初めて、人気の停滞も経験した。

「勝手に出されたベストアルバムをかき消したくて、無理をしてリリースをし続けました。でも、フェスに出ると、明らかに集客が減っていて、次のアルバムの売り上げも下がった。全国ツアーでも、初めて売り切れない会場が出た。原因は移籍したことだと、みんなわかっていたと思うんですけど。そこを見ないようにして」(尾崎)

 そんな苦境に立たされたことで、さらに最悪なことが起きる。尾崎の声が出なくなったのだ。同時期に小泉もドラムが叩けなくなってしまう。

 演奏したり、歌ったりしようとすると、身体の筋肉が引き攣って、思うように動かなくなる。ストレスなど、精神の不調から起こる病で、治療法は確立されていない。

 ギターの小川は「ライブをするのが怖かった」と言う。

「毎回『あの部分、ちゃんと声が出るかな』『あそこ、ちゃんと叩けるかな』とか。尾崎は本当にいろんなことを試しながら、スムーズに声が出るように対策をして。でも、出ない」

 ライブが終わり、楽屋に戻ると、イスに座る尾崎の後ろ姿は明らかにふさぎ込んでいる。スタッフに「どうでしたか?」と毎回確認をしていた。自分の昔の曲を聴くのが怖い、今のライブ音源も聴けないという状態だった。

 ある日、打ち上げで酔った尾崎が「もう死んだほうがマシなんじゃないか」とこぼしたことがある。そう小川は振り返る。

「『すごく死にたくなる、死に方とかを検索してしまう』と言われたとき、『ああ、もうそこまで考えてるんだ』って。それまでは『なんとか次のツアーまでやってみようよ』という感じだったんですけど、生きていてほしいから、もう終わりにしようと言いましたね。

 まあ飲んでたし、僕も泣いていたので、それに尾崎がなんて答えたかは覚えてないんですけど(笑)」