「今でも印象に残っているのは、1962年5月の皇太子・皇太子妃時代の天皇・皇后両陛下の九州旅行です。2週間ほどの長旅で宮崎県や鹿児島県、熊本県にいらっしゃいました。最初から最後まで両陛下に密着した雑誌のカメラマンは、私とほかに1社しかなかったと思います」
当時の熊本県球磨郡上村では、両陛下の歓迎会場になっていた保育園で、大盛り上がりだったことを今でも覚えていると話す玉田さん。
「興奮した子どもたちが笑顔の美智子さまに“おばちゃん、おばちゃん”とまとわりつくように両手にぶらさがり、大騒ぎだったのです。ご夫妻が歓迎台になっていた滑り台にお上がりになると、その子どもたちも一緒に上り“万歳! 万歳!”の声にお手振りをするという微ほほ笑えましい光景もありました」
ご成婚から55年を振り返ると、美智子さまがあれほど、天皇陛下に尽くすことができたのは、お母さまのおふみさん―正田富美子さんの教育の成果だと思うと語る。
「ご成婚から1年もたっていなかったと思いますが、私は富美子さんの美智子さまに対する悲壮な覚悟を直接、聞いたことがあります。取材で五反田の池田山にあった正田邸を訪ねたとき、富美子さんが私を家にあげてくれて、突然こうおっしゃったのです。”やっと、できました。もう大丈夫です”と」
何のことだかわからずに聞き返すと、
「“美智子との親子関係を断ち切ることがやっ とできました”とおっしゃるのです。室に嫁がれた美智子さまと自由に会うことも連絡をとることもできず、母親として心の葛藤があったと思いますが、そのころにちょうど整理がついたのかもしれません。いくら皇室に娘を嫁がせたからといって、自分の子どもとの縁を切るほどの思いを心に決めるというのは簡単なことではないと思います」
民間出身の皇太子妃の母親の大変さをそのときに感じ、“大変だったんですね”と言うほかなかったという。
「もしかしたら富美子さんは、それを自分に言い聞かせるために、私を家にあげてくれて、そんな話をしてくれたのかもしれません。そんな富美子さんの覚悟を知る美智子さまは、ここまで陛下のため国民のために尽くされてきたのだと思います」