■あの名作落語が推理小説に!?

 着物の柄をあしらった渋い装丁に、『粗忽長屋の殺人(そこつながやのひとごろし)』というおどろおどろしいタイトル。さぞシリアスな時代小説かと思いきや、なんとこれが古典落語を下敷きにした抱腹絶倒のユーモアミステリーだから驚き。

 タイトルの由来になった「粗忽長屋」をはじめ、「紺屋(こうや)高尾」「短命」「寝床」といった名作落語が、ミステリー作家の河合莞爾(かんじ)さんによってまったく新しい推理物として語られ、落語ファンもミステリーファンも楽しめる1冊となっている。

「僕はもともと落語が好きで、寄席やテレビでいろいろな演目を聞いていたのですが、そのうちに古典落語には“妙な噺(はなし)”が結構あることに気づいたんです。例えば、「短命」という噺では、大店(おおだな)のお嬢さんと結婚したお婿さんが次々に3人も死んでしまう。噺の中では、その死因は他人が想像で語るだけで終わってしまうのですが、僕は“この3人、本当はどうして死んだんだろう?”と気になってしまって。これは何らかの事件なんじゃないかと思いまして、勝手に死の真相について考え始めたんです。古典落語のネタの数は全部で400とも500とも言われていますが、改めて噺をよく聞いてみると、ほかにもこうした謎が隠れているものがたくさんあることに気づきまして。それで自分なりにこの謎を解いてみようと思ったわけです」

 こうして「短命」は、河合さんの手によって「短命の理由」というミステリー小説に生まれ変わり、3人の男性の死の理由が作中で解き明かされる。表題作である「粗忽長屋の殺人」は、「粗忽長屋」と「粗忽の使者」という2つの噺を下敷きにした力作だ。

「僕は古典落語の登場人物の中でも、『粗忽の使者』に出てくる地武太治部右衛門(じぶたじぶえもん)という人が一番好きなんです。あまりにくだらなくて(笑い)。何しろ噺の冒頭から、地武太治部右衛門が馬と間違えて猫に乗ろうとしたり、馬に後ろ向きに乗ったり。使者として口上を伝えるために出かけたのに、その口上を思い出せず、応対に出た人に“尻をつねってくれたら思い出す”と言い出すんですよ。キャラクターとしては最高だなと。だからぜひ、この噺を使って書いてみたかった。組み合わせたもう1編の『粗忽長屋』は、もともと不思議な噺なんです。“お前、行き倒れて死んでいるぞ。粗忽者だから死んでいることに気づいていないんだよ”と言われて、その本人も自分が死んでいることを認めてしまうという不条理な物語ですから。でも僕はミステリー作家として、不条理を不条理ですませたくなかったんです」

■駄洒落満載で時事ネタも登場

 そして忘れてはいけない今作の読みどころが、元ネタの古典落語に負けずとも劣らない笑えるギャグの数々。登場人物である植木屋の熊さんや大工の八っつぁんたちの会話はベタな駄洒落(だじゃれ)や言葉遊びが満載で、ページをめくるたびに吹き出さずにはいられない。

「駄洒落って、言う人は言うけど、言わない人は全然言わないですよね。僕は前者なのですが、たぶん駄洒落を言う回路が頭の中にあって、それがつながると何を言っても駄洒落になってしまうんですよ。だから今回の作品を書いている間も、駄洒落回路がフル回転してどんどん筆が進みました。あとで読み返して、自分でも“よくこんなくだらないことを考えついたな”と自画自賛したくらいです(笑い)」

 しかも舞台は江戸なのに、会話の中では現代の時事ネタもポンポン飛び出す。作中にはアベノミクスやくまモンまで登場して、もう何がなにやら。

「まあ、実在の人物の名や固有名詞をどこまで出していいのかは迷いましたが(苦笑)。でも、落語家さんが演目を高座にかける時も、今の時代の話題を入れ込むことはよくあるんですね。特に落語本編に入る前の“まくら”では、時事風俗を織り込むのが普通です。古典落語は遠い昔に書かれた噺ですから、今との接点を作り、お客さんたちに親しみを持って聞いてもらうためにも、そうした現代的な要素が必要なんでしょう。今作は落語の聞き書き形式で書いているので、地の文がほとんどなく、登場人物の会話の応酬だけで進んでいく。つまり、これを落語家さんが読めば、そのまま落語の演目になるというスタイルにこだわったんです。だから“この本が数年後に読まれたら、ネタが古くなっているじゃないか”といった細かいことはまったく気にしていません!」

 これまでは本格ミステリーと呼ばれる骨太の作品を発表してきた河合さん。新たな作風で挑む今作が、読者にどう受け止められるか楽しみだ。

「ほんわかしたユーモアを感じられる作品はあっても、爆笑したり吹き出したりする作品はそれほどないので、たまにはこんな小説があってもいいかなと。僕が以前、電車の中である本を読んでいてプッと吹き出したら、隣に座っていた女性が慌てて逃げていったことがあるんです。みなさんにもぜひ、そういう体験をしていただければうれしいです(笑い)」

撮影/近藤陽介
撮影/近藤陽介

■著者の素顔

 出版社に勤務する編集者と作家の二足のわらじをはく河合さん。「実は自分の小説の感想をネットで見るのが好き(笑い)」とのこと。

「“そういうのはあんまり見ないほうがいいよ”と言ってくださる方もいるんですけどね。メッタ斬りにされていてしょんぼりすることもあるんですが、少しでもいいことが書かれているとやっぱり自信になります。でも、自称腐女子の方たちが好意的な感想を書いてくださることが多いのはなぜでしょう……」

(取材・文/塚田有香)

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〈著者プロフィール〉

かわい・かんじ●熊本県生まれ。早稲田大学法学部卒。現在、出版社勤務。2012年、『デッドマン』で第32回横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビュー。ほかの著書に『ドラゴンフライ』『デビル・イン・ヘブン』『ダンデライオン』がある。