気がつけば札幌行きの飛行機に
NHKから大河ドラマ『勝海舟』の依頼が来たのはフリーになって10年目だ。'74年の正月から放映が始まり、半年たったとき、とんでもない記事が週刊誌に載った。
「倉本聰氏、『勝海舟』に内部から爆弾発言」
NHKのスタッフとトラブルになり、倉本さんが取材を受けた。記事はチェックできたが、真意を歪曲した見出しをつけられたのだ。
激怒したスタッフ20数人に責め立てられ、倉本さんはタクシーに飛び乗った─。
「昨日まで一緒に仕事をしていたやつが、こんなにも裏切って冷たくなるものかと、愕然として、パニックになって……。僕、本当に何も覚えていないんですよ。タクシーで羽田に向かったことも、なぜ札幌行きの飛行機に乗ったのかということも」
そのまま札幌にとどまり、続きの脚本は郵送。結局、43回で降板した。
(もう脚本家としては終わりだな……)
半分ヤケになり、毎晩飲み歩いた。バーテンダー、風俗嬢、単身赴任のサラリーマン、板前……。業界人とばかり付き合っていた東京とは違い、札幌では利害関係のないさまざまな人と仲よくなった。書きたいネタはたまるが、仕事はない。
夏が過ぎ、秋が来るころ。東京にいる妻から“もう貯金が7万円しかない”と言われた。倉本さんがトラック運転手になろうと腹をくくった直後、フジテレビのプロデューサーが札幌までやって来た。
そして書いたのが『6羽のかもめ』だ。テレビ業界の内幕を描いたドラマは、視聴率は伸びなかったが、高い評価を受けた。
その後も、北海道を舞台にした『うちのホンカン』(TBS系)、ショーケンこと萩原健一が主演の『前略おふくろ様』(日本テレビ系)など、ヒット作を連発した。