「解除の説明で“潮時”…言っちゃいけない言葉だよ」
「すべてが震災前に戻るなら、戻りたいよ。でも、朽ちる家も放射線量も、仲間も戻らない。子どもも避難先で生活を成り立たせた。なんで俺らが今、帰還を決めなくちゃならないの?」
富岡町から郡山市に避難している平良克人さん(49)はそう話す。
富岡町は「早ければ'17年4月の帰還開始を目指す」としている。富岡町から東京都に避難している市村高志さん(46)もこう言う。
「避難者の多くは避難先から通っています。『通い復興』を認めず解除を急ぐことが、かえって住民と町との縁を切るきっかけになっている。本当は、機を待つ時間の確保が必要です」
今年7月12日には南相馬市小高区の避難指示が解除された。避難指示区域は3つに分かれていて、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」があり、「避難指示解除準備区域」から順に解除されていた。それに加えて、小高区は「居住制限区域」もまとめて1度に解除した。
「なんで3つに分けたの、と思うんですよ。放射線量で分けたんだったら、帰還の時期も差があるはずなのに、一緒に解除した」
南相馬市小高区から避難中の男性(60代)は仮設住宅から地域に通い、変化を見守り続けた。7月に解除された小高区は解除前と比べ、さほど変化はない。
「解除の説明で現地対策本部の後藤さん(後藤収副本部長)が“そろそろみなさん、潮時なんじゃないんですか”って言った。言っちゃいけない言葉だよ。結局やっているのは“自己責任で戻れ”ってこと。国は、どうせ限界集落になるから手立ては不要、黙ってりゃなくなる地域だと考えているんじゃないかと思うよ」
男性は、あきらめたように笑いながら言った。「原発は爆発したら特効薬なんてないんだ」と─。