続けられていることで、僕は祝福してもらっていると思っている
――“奇跡の仲間”とともに作った曲を集めた初のオールタイムベストアルバムが発売されましたね。デビュー30周年にちなんで30曲を宮本さんがセレクトされたとか。どんな基準で選ばれたんですか?
「わかりやすいといいなと思って。『今宵の月のように』が最大のヒット曲だし、『四月の風』とか『悲しみの果て』とか。エレカシの基礎と呼んでいるんですけど、自分たちの代表曲を集めました。ここから歴史もわかるし、聴いたことのある曲、気に入ってくれる曲もあると思います」
――中でも、印象的な曲は?
「例えば『今宵の月のように』は、デビューして7年くらいでレコード会社との契約が切れて。ヒット曲を出したいと思っているときに新しいところと契約して、初めてのドラマの主題歌としてテレビから流れてきたときは本当にうれしかったですね。『四月の風』もやっぱり契約が切れて、1月に赤羽の団地の部屋の中で、風邪をひいて布団をかぶりながら“何かが起こりそうな気がする”って作って、当時はメンバーもバイトしたりしてね。ギリギリの思いの中から出てきた言葉でしたよ」
――だからこそ、エレカシのヒット曲は聴く人の背中を押してくれるものが多い気がします。
「僕は天職だと思っています、歌が。うまいかどうかはわかりませんが、説得力があるんだと思うんですね。それはどうしてかというと、そのときのなるべく精いっぱいで歌いたいと思っているからで、これは訓練でできることではないと思うんです。
小学校のときに、母親がこの子は歌が好きそうだからNHKの合唱団に入れちゃおうって。そのまま歌手になって(NHKみんなのうた『はじめての僕デス』で歌手デビュー)、母親の力って、相当なもんだなと思います。NHKの合唱団って、本当に厳しい試験があって、なおかつ、みんなの歌で歌ったりして、そういう経験値も結果として生きていると思うんですよ。そういう意味では母親に感謝ってこともあるんです。
大人になって、歌が好きで、いい仲間と出会って、なんとかやっていけている。デビュー30周年って、週刊女性さんは60年ですけど、続けられていることで、僕は祝福してもらっていると思っている。だから、いまは、誇りに思っていいと思っているし、そういう気持ちでこれからも、歌っていこうと思っています」
――50歳の宮本浩次が考える、この先の年の重ね方は?
「実は答えって、自分でわかっているのかなというところもあって。自分のやりたいこと、僕は主に音楽だと思うんだけど、これがやりたいっていうのをしっかり自分でわかったうえで相応の、いまの自分としての精いっぱいを出し続けられるようにしたいですね。若いときと違って、無理がきかないから、シンプルに」