常に心身ともに精いっぱいに戦ってきた浅田。そのことを誰よりも母は心配していたのだ。そんな匡子さんがいちばんつらかった出来事として挙げたのが、彼女がまだ14歳のジュニア時代のことだった。

「全日本ジュニアで真央が1位で舞が2位になって、お姉ちゃんは世界ジュニアに行けなくなったの。舞が16歳だったんだけど、私はそのときのことを一生、忘れられないわ。舞は“もうスケートしたくない”って言ったのよ。

 それくらい、傷ついて……。舞も真央も私にとっては大切な娘だし、そのとき苦しんだ舞のことを、私は誇りに思うわ。そして真央も自分のせいでお姉ちゃんが行けなかったことに傷ついたのよ。ただ、真央は舞と一緒に世界ジュニアに行きたいだけだったのよ」

 姉のスケートする姿に憧れ、姉妹そろって仲よくリンクに通い続けた妹。だが、皮肉にもそれが姉妹の関係を微妙なものにしてしまった。もしかしたら、そのころから浅田にとって、リンクは苦い思いがつまった場所だったのかもしれない。

「舞ちゃんは家族と距離をおいたときもありましたが、匡子さんが体調を崩したことでまた姉妹の絆が強くなったんです。舞ちゃんだって“自分が移植していたら”という思いもあるし、真央ちゃんだって“もっとお母さんにできることがあったはず”って後悔していることは多いと思いますよ」(前出・浅田家に近しい人)

 インタビューで匡子さんがいちばん楽しそうに話していたのが、姉妹が仲よくしていることだった。

真央は舞とはいろいろ相談しているみたい。メールとか電話でもしょっちゅう話してるもん。どうも、真央にカレシができるのは、ほど遠いね。興味はあるみたいなんだけど。誰かいい人いない? 昔から“お母さんになりたい。いっぱい子どもが欲しい”って言ってたしね。だから結婚はしたいみたいよ。これからも、姉妹で頼りあって生きていってほしいな

 そして、匡子さんは最後に記者の手をにぎり、満面の笑みでこう話してくれた。

女の子を育てるって、本当に楽しいから!

 どんなときも“真央スマイル”を見せられたのは、きっと、この母の笑顔があったからに違いない。