稽古、稽古、そしてまた稽古の毎日
さて、『北斗龍』となり、昭和61(1986)年の5月場所では2勝5敗で『東序の口三十一枚目』に。同年11月場所では『西序二段百二十一枚目』に昇進、平成2(1990)年の7月場所では、東三段目七十九枚目に出世する。
昇進を後押ししたのは、稽古、稽古の毎日だ。
「申し合いで勝つでしょう。勝つと、つぎの相手を買える(指名できる)の。買われるほうも、ヘロヘロになってももう一番。あるいは負けて悔しければ“もう一番お願いします”と。
それが終わるとぶつかり稽古。胸を出してもらって、何十回も押すわけですよ。でも申し合いで何十番も相撲を取ったあとだから、もう身体がしんどくて押せないわけ。そうすると転がされて、頭も身体も砂だらけになってね」
例えば、水泳を始め、練習練習の毎日を送っていたら、“将来はオリンピックで金メダル選手に”と願うのは、きわめて自然な願望だろう。
同じように、稽古、稽古の毎日を続けていたが、“将来、横綱になりたい”とは、思ったこともなかったと言う。
「逆にこの世界を知ってしまうと、“横綱になりたい”とかは言えなかった。関取(十両以上)になりたいとは思ったけれど。
稽古しているのを見ていると、“この人、すごい稽古をやってんなあ”と思って見ていても、勝てないのよ。だから逆に、“横綱になりたい”とかは、軽々しくは口には出せなかったよね」
そう語る丸山さんだが、故・北の湖親方の教えと人柄は、今でも胸に焼きついている。
「あんましゃべんない人なんだよね。しゃべんないで、ポイントだけをぼそぼそって言うの。でも見てるところはちゃんと見ている。いいところを伸ばす指導法だったと思うんだよね」
落語の『阿武松(おうのまつ)』に、“無理偏に拳骨(げんこつ)と書いて兄弟子と読む”というマクラがある。
相撲界における上下関係の厳しさを示したものだが、その頂点に立つ親方は、そんな横暴さとは大違いの、懐の深い人物だったと丸山さん。
「うちの北の湖親方は人を殴ったりとかは大嫌いで、“絶対するな!”って人だった。“殴って覚えさせるなんて、人間は犬猫じゃないんだよ”って言っていましたね。だから親方に殴られたことって、1度もないんです」
10年前、当時17歳の力士が『かわいがり』で、死亡する事件があった。以来、期待の若手に胸を貸す行為をいう言葉だった『かわいがり』が、理不尽なしごきを表す言葉に豹変(ひょうへん)してしまった。
この『かわいがり』を、丸山さんは相撲界に身を置いた者としてこんなふうに言う。
「なんの理由もなくてドツキ回されたり、引っ張り回されたりってことはないからねえ。ほか(の部屋の者)に聞いても、これは同じだと思う。
それなのに、なんで『かわいがり』なんてことが言われるかというと、申し合いの稽古に、“気合が入っていない”ってことは、確かにあるから。
でも毎日毎日何十番も(申し合いを)やるんだから、すべてに気合が入らないこともあるわけなのよ。
それを見ていた先輩が、ぶつかり稽古で、“お前は申し合いが足りないから”として、転がされ、泥だらけにされることはある」
『かわいがり』を自分を強くするためのものととるか、あるいはいじめととるかは、本人次第──。
角界に31年間にわたり身を置いた元力士は、そんなふうに言うのである。