《一年前の夏 妹より軽井沢会庭球部部内トーナメントのさそひに接せり このトーナメントにて美智子と初めて会ふ》
という詞書のあと、天皇陛下が詠まれた和歌である次のような御製が続く。
《たまたまの 出あひつくりし電話の声 耳に残りて未だ新し》
この御製は、美智子さまと出会われた1年後に天皇陛下が詠まれたもの。
「一般には公表されていない御製です。当時、陛下に和歌を教えていた五島茂さんのお弟子さんたちが、両陛下のご結婚10年のときを記念して歌集を作られました。その中に、この御製が掲載されていたのです。
こんな御製を詠まれるほど、美智子さまとの出会いが衝撃的だったんでしょうね。陛下からのプロポーズを受けたあと、最終的には美智子さまご本人が受けることをお決めになったのです。“あたたかいホームが欲しかった”とおっしゃった陛下のために決心なさったのです」
皇后陛下と同世代である渡邉さんが、美智子さまの存在を初めて知ったのは、まだ皇室入りされる前だった。
「'55年に読売新聞主催の作文コンクール『はたちの願い』に2位入賞されたのが、聖心女子大学2年の美智子さまだったのです。
とはいえ、それだけでしたら記憶には残りませんでしたが、受賞されてから1か月後の2月5日、朝刊を読んでいると《聖心女子大学の正田美智子さんは、賞金2千円のうち、千円を東京都を通じて社会事業寄付、残りの千円を聖心女子大学に奨学資金として寄付》という記事が目に入り、すごい方がいらっしゃると頭の中に強くすりこまれてしまいました。私は、もし入選したらスキーに行こうと思っていたので誠にお恥ずかしいことでした」
渡邉さんは、日本テレビの局員時代に両陛下の「ご成婚パレード」で、中継取材を担当した。
「'59年のパレード前日はものすごい嵐だったのですが、当日の午前7時くらいに快晴になったことが印象に残っています。それまで皇太子さま(当時)と結婚されるお相手は、皇族、もしくは華族などの名門のお家柄から選ばれることが慣例でした。当時は、美智子さまに対して意地悪く“平民が”といった言葉もかけられていましたね」
しかし、皇室入りされてから60年がたち、美智子さまは多くの国民から敬愛されているのは周知の事実。それは、美智子さまならではの明るさとお気遣いがあったから。