余命宣告と両親への報告
1か月の検査入院を経た8月18日、31歳の誕生日の前日に、小崎さんは自分が最悪の状態にあることを知る。
「先生が、“病名は骨髄異形成症候群(MDS)です。血液が正常に作れなくなる難病で、余命は5年3か月ほどです”と……」
MDSにはよく似た病気が何種かある。小崎さんはそのいずれなのか? それを診断するための1か月の入院だったが、その中でも、もっとも最悪なものこそが、MDSであると聞かされていた。
「だから先生に、“すごい誕生日プレゼントですね……”と言った記憶がありますね」
そう語りながら、小崎さんがアハハと笑う。その横で、取材に駆けつけてくれた親友の長尾富美子さんが、そっと涙をぬぐう。ただならぬ状態にあるというのに、本人がいちばん明るい。長尾さんが言う。
「いつも本人より、私のほうが泣いているんです。検査以前から“体調がイマイチよくない”とか言うのは聞いていました。ですが、いきなり入院とは……。ちょうど、株式会社に改組して2年目のことで、誕生祝いを兼ねたパーティーの司会をやることになっていたんですが、結局パーティーはできませんでした」
なによりもつらかったのは両親への報告だったと小崎さん。
「“人前で泣くな!”と言って私を育てた母は、“あんたがそんな簡単に死ぬわけないわ!”と言いながら、グッとこらえていましたね。父は、伝えたとたん出て行って、コーヒーとシュークリームを買ってきてくれました」
強いショックを受けると人は、思いがけない行動に出るものらしい。そしてその行動には、しばしば真情が出る。
血液疾患病棟では、免疫の問題で外出ができない。父のそれは、大のスイーツ好きのわが子が甘味に飢えているだろうとの親心であり、娘への真情が行動となってあふれ出たものであった。
31歳目前での余命宣告は、小崎さんにその後の人生を考え直させる契機となった。MDSにも治療法とされているものがある。骨髄移植がそれである。
「骨髄移植がないと、完治の可能性がない病気なんですが、それでかならず治るかというと、そうでもない。治療中に亡くなることもあるし、再発や合併症になる人もいます。移植を待つ患者の間では、“20%の奇跡(生存率20%)”と言われているんです」