「でも、きっと値段が高いわね」と同行した仲間と目くばせしたが、値段を聞いて更にびっくりした。決して安くはないが、持ち家を売却したら手の届く値段だ。自立型なので元気なうちに入居し、死ぬまでいられる施設になっている。
わたしが主宰しているSSSネットワークにはひとり者が多いので、最後は施設を考えている人が大半だ。彼女たちは口をそろえて「ひとり暮らしは何かあったとき心配、家で倒れたら誰にも発見されないのが不安だ。孤独死だけは避けたい」と言う。
彼女たちの気持ちはわかるが、わたしは違う考え方だ。還暦を過ぎたらいつ死んでもいいお年頃。ひとり身の特権は、誰にも発見されないで死ねること。その特権を不安に思うのはもったいないことだ。
わたしは、誰にも気づかれずに静かに死んだ会員を見てきている。ひとりだから静かにあの世に逝けたのだ。ひとり身の人には、誰にも発見されない幸せがある。
でも、いくら他人に言われても不安症な人は耳をかさないので、最後は施設に入るのが最善の選択かもしれない。
「ここを終のすみかにできる人はいいわね。世の中、どこまでいってもお金次第なのかしらね」と、ため息をつきあう。
ホテルのような食堂に集っていた入居者はどんな人?
施設見学が終わり、ランチをいただくために食堂に向かうと、いえ、食堂という言葉はふさわしくない。ホテルのレストランと表現したほうがいいだろう。大げさではなくここは、ヒルトンホテルかシェラトンか?
入居者の方がすでに明るい席を埋めていたので、わたしたちは奥まった席に座っていると、あることに気づく。まずは、入居者の皆さんが、まだ70代ぐらいでいわゆる“老人”ではないこと。元気でないと入居できないので、もちろんのことだが、車いすの方はいない。
皆さん、きちんとした身なりの方たちばかりだ。おばちゃん風の人はいない。こういう施設を選ぶ方は、やはりそれにふさわしい方たちなのかもしれない。