親子の「愛情」に葛藤
数々の作品で魅力的な少年・少女を描いてきたあつこ。その子どもへのまっすぐな眼差(まなざ)しを、地元岡山のママ友は間近で見てきた。
「子どもたちが小学6年生のとき、荒れたクラスの生徒たちが授業をボイコットする事件が起きました。PTAでも事の重大さを問題視して騒ぎになりましたが、あつこさんは一貫して“子どもは何もしていない。子どもを信じましょう”と言ってブレませんでした」(鳥越尚美さん)
社会の概念を振りかざす親が多い中、あつこは子どもを全面的に信頼してひとりの人間として接したという。
また、悩むママ友の相談に、こんな言葉をかけたこともある。
「子どもが小学2年生のころ、不登校になり悩みを打ち明けたら、“2人でいる時間を楽しめばいいじゃない”と言われ、視点が変わり楽になりました」(清水圭子さん)
ここにも、子どもに対する揺るぎない信頼が見てとれる。
しかし、そんなあつこにもかつて親との「関係」で深く悩み、葛藤する日々があった。
「両親にしてもらったことはいっぱいあるのに、愛されていないんじゃないかという思いがずっとあって、距離を感じていました。ちゃんと愛されていたのかもしれない、と知ったのは親が亡くなってからです。でも、そうした屈折した感情も、書く原動力になったように思います」
親の立場になると、今度は3人のわが子への「愛情の向け方」に自身が試行錯誤した。
「上2人の男の子はきちんと育てなければと思って。長男は塾へ送り迎え、夜食もせっせと作り、医学部に合格しました。応援したつもりでしたが、後で“重荷だった”と言われて愕然として。私も変な大人になっていたと反省しました。子どもの幸せより、意外に自分の見栄を優先していたのかなって。子どもは、本気で支えてくれているのか、親の下心なのか、嗅(か)ぎわけちゃうんですよ。思い返せば、私も10代のときそうでした」
そうした教訓から、3番目の長女は自由にのびのび育てたという。
「高校を卒業するとき、“生まれ変わっても浅野さおりになりたい”と言われたときはうれしさが込み上げてきました。愛情ってもろ刃の剣ですね」
明るく悩みを引きずらない性格で、小説のネタ元にもなってきた長女・さおりさんは、母をどう見ているのか。
「思春期も友達みたいに何でも話せる母でした。おかげで私には、反抗期が1度もなかったんです。私は母のおかげでずっと笑って生きてこられました」