美智子さまとの出会い
大学時代はボートに打ち込んでいたが、ひょんなことから独身時代の上皇后さまである正田美智子さんの名前を知ることに。
「『はたちのねがい』という読売新聞の懸賞論文で、私は3次で落選しましたが、聖心女子大の正田美智子さんは第2位。
その後、美智子さんは賞金2000円を恵まれない人と母校聖心の奨学資金に寄付する記事が掲載され、賞金でスキー旅行をしようと思っていた私は立派な方がいるものだとお名前が頭に残りました」
その方が数年後、皇太子妃として名前があがり、さらに驚くことに。日本国中がミッチーブームで沸いたころ、渡邉さんはテレビ業界初の女性ディレクターとして活躍を始めたころだった。
「東京女学館の同級生が聖心に進み、美智子さまの同級生だった方もおり、さらに美智子さまのお料理の先生の石黒勝代先生のグループにも友人がいました」
そんな縁もあり当時、担当していた『婦人ニュース』で美智子さまの人柄を取材する機会に恵まれたという。
「当時の東宮御所にボランティアで来ていた勤労奉仕団に紛れ込んで美智子さまと幼いナルちゃん(現在の天皇陛下)をそばで拝見したこともありました。
昭和38('63)年に美智子さまは流産を経験されています。その年の7月8日に軽井沢に静養に行く直前、まだ新幹線もなかった上野駅のホームで拝見した痛々しいほどおやせになったお姿……美智子さまのはかなげな美しさは今も鮮明によみがえります」
その後、渡邉さんは『美智子妃殿下の20年』、上皇ご夫妻の結婚25周年で『皇太子両殿下銀婚式に捧ぐ』などの皇室スペシャル番組で高視聴率を叩き出す。