あきらめない母の強さ
いつまでも自分が面倒を見るわけにはいかない。「自立」を強く意識していたみゆきさんは、幸男くんを小学校にひとりで通わせたかった。
しかし自宅から盲学校までの道のりは、車の交通量が多く、階段も多い。視覚障害者がひとりで歩くのは難しかった。みゆきさんは、電車、バス、あらゆる経路を試し、必要な場所には点字ブロックを敷いてもらえるように市や警察に働きかけた。横断歩道の両端についていた金属の金具を中央に互い違いに設置してもらえるように依頼し、1年がかりで認められた。
そして4年生のとき、下校時に通る横断歩道にエスコートゾーン(視覚障害者用道路横断帯)敷設を依頼、県内で初めて敷かれたという。
「山梨県はよくいろんな項目で『××がない県』3県に入るんですが、エスコートゾーンがついたのは、かなり早かったんです。自分が働きかけたことの中で、それだけは誇れることかな」
山梨県立盲学校の教員、酒井弘光さん(55)がこう振り返る。
「よきにつけ悪しきにつけ猪突猛進で、幸男くんのためなら一生懸命なんです。相手が警察だろうがなんだろうが関係ない。親としてひとり立ちさせようという気持ちが強かったのでしょうね」
1年生入学と同時に始めた路線バス通学、幸男くんをひとりで通学させるようになったのは、小学5年生からだ。
最初は、みゆきさんがずっと後ろからついていって見守った。やがて自然と助けてくれる人たちが現れた。幸男くんがひとりでバス停に行く道中を見守ってくれる盲学校の先輩や、バス停を乗り越してしまいそうになると声をかけてくれる乗客もいた。
みゆきさんは、博物館や美術館に行くと、「うちの息子は目が見えないんです。よかったら実際に触らせてもらえませんか?」と館員にかけあった。劇団四季の『キャッツ』を見に行ったときは、衣装を触らせてもらったと紗也香さんは言う。
「いつも母は、“触ってごらん、こうなっているんだよ”と弟に体験させていました。母には、決してあきらめない強さがありました」
だが、学校や市にひるまずにかけ合い、システムをどんどん変えていくみゆきさんのことを「モンスターペアレント」と言う教師もいた。ひとりで幸男くんを歩かせることを非難し「なんて鬼親なんだ」と言う人もいた。夫にとっても大切な息子、ひとり通学には大反対で「子どもを殺すつもりか!」と大ゲンカした。
「私がやることはすべて危険と隣り合わせ。いつも夫とは意見が合いませんでした。自己満足なのかな……とずいぶん葛藤したように思います」
みゆきさんは、ひと呼吸おいて、言葉を続けた。
「そりゃ、やらせないほうが私だって楽だけど。それでは、この子の世界は広がっていかないから」
世間には障害者への配慮を「ワガママだ」と非難する人がいる。しかし、特別扱いを求めているわけではない。ただ、ほかの子と同じようにやらせてほしいと頼んでいるだけ。障害者差別禁止法の「合理的配慮」でも認められている、立派な権利なのだ。