「東大に入ろう!」
そう決意した岡根谷さんは、猛勉強に励む。成績はグングン伸びて、学年の上位になり、晴れて理科一類に合格。
「知らない国」に留学
上京し入学すると、高校時代とは比べものにならないくらい世界が広がったという。
「大学には各国からの留学生がいて、国際交流プログラムにも参加する機会が多数ありました。地理の授業で習った知識が現実の体験に変わり、ますます海外への興味がかき立てられましたね」
より知らないことが多い途上国に強い興味を覚えた。国際協力でインフラ整備をすることで人の幸せを作りたいと思い、学部選択の際には土木工学を専攻。
そして大学院に進学すると、「自分の知らない土地で挑戦してみたい」と、交換留学協定校の中で最も「知らない国」であったオーストリアのウィーン工科大学に留学する。
ウィーンでの留学生活は新鮮そのものだった。近隣の留学生仲間と付き合うなかで、それぞれの国の文化にも関心が湧き、バックパックを背負って周辺の国々をヒッチハイク、その数は30か国になった。
さらに、ウィーンの国連機構でインターンを募集していることを知り応募、選考を経て3か月間インターンシップをする機会を得た。予算の配分を計算するデスクワークだったが、世界中の国の人たちがいてそれぞれの文化が交錯し、とても刺激的だった。
「でも一方で、途上国のリアルさが伝わってこないもどかしさも感じていました。そこで、現場に行きたいと申し出ると、ケニアのプロジェクトで働かせてもらえることになりました」
2012年、岡根谷さんはケニアで現地パートナーと一緒に大豆の加工工場を立ち上げる、というプロジェクトに参加した。仕事はプロジェクトマネージメント。プロジェクトを潤滑に進めるための進行管理の役目だった。本来ならば、本部で用意した寮に滞在すべきだが、現地の生の生活を体験したいと申し出て、ひとり大豆農家の8人家族の家に滞在したほど意気込んでいた。
だが、ケニアで彼女が直面したのは、思ってもみない現実だった。
「ある日突然、村の真ん中を通る大型道路の計画が知らされたのです。小さい村なので、市場も学校も家々も、すべて立ち退かなければなりません。自分たちの生活が破壊されることに、村の人々が憤慨し、騒然としていました」
国全体としては、物流がよくなり、経済も発展するはずの大型道路。しかし、村人は誰ひとりとして喜んではいなかったのだ。
そんなとき、岡根谷さんは“食卓”に意外な発見をする。
「ケニアの家族との暮らしのなかで、みんながいちばん笑顔になるのが、そろって夕飯を囲んでいるときだと気づいたんです。あんなに憤慨していたのに、手作りの料理を囲んで時間をともにしているときはみんな笑顔。国を超えて海を越えて、美味しいごはんを食べる幸せは人類共通なんだと感じた瞬間でした」
誰ひとり不幸にしない「料理の力」に目覚めケニアでの出来事が彼女の原点となった。