クックパッドに入社

 同時にもう1つの思いが持ち上がってきた。

「自分が変えたいのはどんな社会なのか」

 国際協力に関わりたいと思ったのも、自分の知らない世界でその人たちのことをもっと知りたいと思ったから。仕事として携わるためには、何か彼らにしてあげることが必要である。しかし、余計なことをすることによって、彼らの生活が損なわれてしまう側面もある。

「現地で暮らしてみてわかったのは、彼らの暮らしはお金やインフラの面では恵まれたものではないけれど、みんなすごく力強く楽しそうに生きているということでした」

 岡根谷さんは、翻って考えてみた。日本という社会は、なんでこんなに自殺率が高いんだろうと。

「日本は環境的には恵まれているはずなのに、文句を言いながら嘆いて生きている人が多い。もしかしたら自分の力で変えられるのは、日本の社会のほうなんじゃないかなと思うようになっていきました」

 ケニアで体験した「料理の力」を表現できる「場」で働きたい─。

 2014年、帰国した岡根谷さんは海外展開を始めていたクックパッドに入社する。

「当時のクックパッドのミッション(企業理念)が『毎日の料理を楽しみにすることで、心からの笑顔を増やす』。この言葉が、私の気持ちをまっすぐに表してくれていて、心にストンと落ちたのです」

 東大時代、岡根谷さんの指導教員を務めた現・国際連合大学上級副学長の沖大幹さん(55)は、彼女を「好奇心の非常に強い学生」だったと語る。

「スウェーデンの『世界一臭い缶詰』を何の躊躇(ちゅうちょ)もなく食べてました。何事もおそれないし、ぶれない学生でしたね。就職相談でクックパッドに行こうか迷っていると相談に来ましたが、もう自分の意思は決まっていて、その考えを補強しに来たような感じでした」

 クックパッド入社後、岡根谷さんはサービス開発の部門へ配属された。やはり東大出身で彼女と同期入社の奥村祥成さん(30)は、彼女の第一印象を「変なやつ」だったと言う。

「とても仲よくはなれないな、と思いました(笑)」

 奥村さんは、新入社員研修で、野菜を売るバトルをしたことをよく覚えていた。

「新入社員はみんな優等生ぞろいだから、尻込みして野菜を売るなんてできなかった。なのに、岡根谷は通行人を追っかけ回してトマトを売りつけようとする。頭おかしいんじゃないかと思いましたね。小柄でまるで子どもみたいで。それが最初の印象でした」

 ところが、2、3年がたち、印象は変わっていったという。彼女が個人的な活動も行い、海外によく行っていることを知ったためだ。

「ただの変なやつじゃなかった。目的意識が明確だった。岡根谷はアーティストなんだと思いました。そう気づいてからは応援するようになったんです。現在、彼女のユーチューブチャンネルを開設する手伝いをしています」